活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

『悪意の波紋』 エルヴェ・コメール 山口羊子訳 集英社文庫

悪意で人生を論ずる ある事件やある人物が、波紋のように周囲の人生に影響を及ぼしていくのは、いつの時代、どこの場所でも度々見られる現象だ。本書は、『悪意の波紋』というタイトルどおり、ある瞬間に落とされた悪意の一滴が、半永久的に広がっていく様を…

『最後の紙面』 トム・ラックマン 東江一紀訳 日経文芸文庫

「人間」描く、新聞のような連作短編 本書は、ローマに本拠を置く1954年創刊の小さな英字新聞社が、2007年に業績不振で廃刊に至るまでを描く連作短編集である。しかし、厳密に言うと、主役は「新聞」ではなく、各短編の主人公たち11人の、思うようにいかない…

『東方の黄金』 ロバート・ファン・ヒューリック 和爾桃子訳 ハヤカワ・ミステリ

さらりと読める唐の探偵奇談 まず、肩の力を抜いて、ゆっくりと想像してみよう。七世紀半ば、唐時代の中国――。 都の若き官吏・狄仁傑(ディーレンチェ)は、毒殺された知事の後任として、信頼の厚い老僕一人を従え、初めての任地・平来(ボンライ)へと向か…

【産経新聞より転載+補遺】『エディに別れを告げて』 エドゥアール・ルイ 高橋啓訳 東京創元社

※本記事は2015年5月17日付産経新聞読書面に掲載された書評に補遺を加えたものです。 www.sankei.com 社会の闇に迫る私小説 エドゥアール・ルイという名は、筆名ではなく、著者の現在の本名だ。改名前は、エディ・ベルグルといい、本書の主人公の名前である。…

『帰ってきたヒトラー』 ティムール・ヴェルメシュ 森内薫訳 河出書房新社

国の未来を憂う危険なコメディアン 世の中には、深入りすればするほど危険が高まる事柄が存在する。それは、様々なメディアに姿形を変えて存在し、理性的に立ち回らなければ、こちらが取り込まれてしまう恐ろしさだ。本書は、そのリスクを、「現代に甦ったヒ…

『静かなる炎』 フィリップ・カー 柳沢伸洋訳 PHP文芸文庫

くすぶり続ける鉤十字 報道でたびたび取り上げられているとおり、今年2015年は終戦70年の節目の年であり、去る5月8日はドイツの終戦記念日であった。ドイツではこの日をナチス体制からの「解放の日」と呼ぶこともあり、鉤十字は今なおドイツ社会に影を落とし…

『変わらざるもの』 フィリップ・カー 柳沢伸洋訳 PHP文芸文庫

変えられない運命にあえぐ 第二次世界大戦中から戦後にかけてのドイツに、名高きレイモンド・チャンドラーの探偵フィリップ・マーロウを置いたらどうなるか――著者のそんな興味が、本シリーズの最大の魅力だ。本書は、私立探偵ベルンハルト・グンター・シリー…

『極夜 カーモス』 ジェイムズ・トンプソン 高里ひろ訳 集英社文庫

終わらない暗闇、浮き彫りになる社会 「極夜」とは、太陽が沈んだ状態が続く現象のことをいう。限界緯度66.6度を超える北極圏や南極圏で発生し、住人たちは数日間、凍てつく暗闇の中を生きなければならない。自殺率や犯罪率が高まる、鬱屈とした季節である。…

『異常気象と気候変動についてわかっていることいないこと』 筆保弘徳/川瀬宏明編 ベレ出版

「空の以心伝心」に挑む若き研究者たち 昨今、異常気象や地球温暖化がさかんに取り沙汰されるようになった。近年で最も厳しい寒さに見舞われた2012年冬。高知県で国内最高気温41.0度を更新した2013年夏。2014年2月の二週連続の大雪は、記憶に新しい人も多い…

『天気と気象についてわかっていることいないこと』 筆保弘徳/芳村圭編 ベレ出版

天気と気象相手に謎解き 日々を忙しなく暮らしていると、空を見上げることはほとんどない。せいぜい天気予報で、明日は雨だとか、真夏日だとかをチェックする程度であろう。しかし、空は想像を絶するエネルギーに満ちた、ミステリアスな空間なのである。 本…

『歌うダイアモンド』 ヘレン・マクロイ 好野理恵 他 訳 創元推理文庫

この世の謎に悲愴を込めて ミステリはたいてい、はじめに事件があり、その謎を解き明かしていくという構造を成しているが、そもそも世の中には謎があらゆる所に存在している。はるか昔から、一般に言われる超常現象や怪奇現象の類から、人間の心理や精神まで…

『ソロモンの偽証』 宮部みゆき 新潮文庫

靄の中を生きていくために 中学時代ほど、不安定な時間はない。図体だけデカくて頭はまだまだ子供だったり、いわゆるスクール・カーストなど人間関係に苦しめられたり、コントロールに困る感情が芽生えたり、驚異的な行動力や想像力を発揮したりと、何かと身…

『サラの鍵』 タチアナ・ド・ロネ 高見浩訳 新潮クレスト・ブックス

忘れられない記憶と向き合う 小説を読んでいると、たまに、本を閉じた後も登場人物が心の中で生き続けることがある。私にとってそのうちの一人は、本書の語り手、ユダヤ人少女サラであった。ナチス占領下のパリを生きる彼女を襲った悲惨な出来事。彼女の慟哭…

『猟犬』 ヨルン・リーエル・ホルスト 猪俣和夫訳 ハヤカワ・ミステリ

秋雨の降る数日間、苦難に立ち向かう父娘 北欧から、またしても、ユニークな警察小説シリーズが登場した。舞台はノルウェー、オスロ周辺。著者はヨルン・リーエル・ホルスト。新人作家ではない。本書は、ヴィリアム・ヴィスティング捜査官シリーズの第八作目…

『孤独の歌声』 天童荒太 新潮文庫

孤独を憂う人へ贈る 本書は、タイトルどおり「孤独」をテーマに据えた小説である。孤独とは、他人との接触や関係が希薄な状態を指して使われる言葉だ。が、勘違いしてはならないのは、本書でいう孤独とは、現代的にいう「ひとりぼっち」や「集団に溶け込めな…

『赤い右手』 ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ 夏来健次訳 創元推理文庫

悪夢を心ゆくまで愉しむ 熱に浮かされていると悪夢を見る。誰しも一度や二度は体験したことがあるだろう。小説でもその疑似体験が可能な作品がいくつか存在しているが、その中でも、本書は文字通りの「悪夢」を、奇妙な酩酊とともに味わえる怪作ミステリであ…

『禁忌』 フェルディナント・フォン・シーラッハ 酒寄進一訳 東京創元社

「禁忌」が描かれた絵画 まず、本書は一般的にイメージされるミステリ小説ではないことを念頭に置いておかねばならない。いや、小説と意識して読むのも間違いかもしれない。たとえるならば、どこかの湖畔のさびれた美術館で、「禁忌」と題された絵画を鑑賞し…

『朝のガスパール』筒井康隆 新潮文庫

虚構と現実の壁を破壊する「読者参加小説」 ご注意願いたいのは、この文章がすでに小説の一部であるということだ。つまり、虚構「朝のガスパール」はすでに始まっているのである。…… (中略) 読者にはこの虚構に参加していただきたい。いや。展開にかかわっ…

『影が行く ホラーSF傑作選』P・K・ディック、D・R・クーンツ他 中村融編訳 創元SF文庫

「ホラーSF」を骨の髄まで楽しむアンソロジー 隊員服を着込んだブロンズ色の男が、少量の血液を垂らしたシャーレに、火炎放射器で熱した針を近づけていく。周りには、成り行きを食い入るように見つめる男たちと、縄で縛られた者が三人ばかり。外は極寒の南極…

『私に似た人』 貫井徳郎/朝日文庫

「私に似た人」は誰か? 長らくの経済不況で、閉塞感を抱いている人は多い。貧困層の息苦しさはより顕著である。本書は、個々人のその鬱積した感情が、計画性のない小規模なテロ行為、《小口テロ》として発露し、日常化した現代日本を、十の短編、十人の主人…

『ストリート・キッズ』ドン・ウィンズロウ 東江一紀訳 創元推理文庫

青年探偵の痛快で哀切な長い夏 軽口は叩くけれど、ニヒルになりきれない。冷徹に振る舞おうとしても、ついつい感情が出てしまう。モラトリアムにありがちな葛藤だ。本書は、そんなナイーブさをひた隠しにして、機転の良さと天性の才能を頼りに事件へ立ち向か…

『鼻行類』 ハラルト・シュテンプケ 日高敏隆・羽田節子訳 平凡社ライブラリー

虚構を現実化させる情熱 1941年、日本軍の捕虜収容所から脱走した男は、南海のハイアイアイ群島に漂着する。そこで彼が見たものは、鼻で歩行する哺乳類、“鼻行類”であった。本書は、その鼻行類の生態系や行動様式の詳細な観察記録だ。 ――という驚きの序文だ…

『特捜部Q 檻の中の女』ユッシ・エーズラ・オールスン 吉田奈保子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

圧倒的なリーダビリティの北欧ミステリ・シリーズ第一作 ミステリを読む楽しみの一つは、一人の探偵や刑事のシリーズを追うことだ。ホームズやポワロなど、多くの人々に愛されたシリーズは枚挙にいとまがない。本書は、現在進行形で、北欧ミステリブームの旗…

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』ジェームズ・M・ケイン 田口俊樹訳 新潮文庫

“二度”の運命を、かろやかな名訳で 本書は、古典的名作小説の新訳である。アメリカでの初刊は1934年、初邦訳は1953年で、以後は、帯の惹句に「映画化7回、邦訳6回、永遠のベストセラー!」とあるように、全世界で長く親しまれてきた。しかし、タイトルはなん…

【追悼2】『女には向かない職業』 P・D・ジェイムズ 小泉喜美子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

うら若き女探偵と老練な刑事の交錯 「探偵稼業は女に向かない」 誰もがコーデリア・グレイにそう言った。世間知らずの22歳の娘に、そんな荒仕事ができるわけない……。それでもコーデリアは、病を苦に自殺した探偵事務所の共同経営者バーニイ・プライドの意志…

【追悼1】『ナイチンゲールの屍衣』P・D・ジェイムズ 隅田たけ子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

暗さの中の人生哲学 偉大な女流作家が去る11月27日に亡くなった。94歳であった。 P・D・ジェイムズは、1920年オックスフォード生まれの本格推理作家で、42歳のときにアダム・ダルグリッシュ警視シリーズ第一作『女の顔を覆え』でデビューし、寡作ながらも、C…

『九マイルは遠すぎる』ハリイ・ケメルマン 永井淳/深町真理子訳  ハヤカワ・ミステリ文庫

熟成された“純粋”本格推理小説集 本書は、安楽椅子探偵ものとしては傑作の部類に入る短編集である。なぜならば、この作品の探偵は、犯罪学に造詣があるわけでもなければ、優れた直観力を持っているわけでもない。真に純粋な推理だけで謎を解くのだ。しかも、…

『縮みゆく男』リチャード・マシスン 本間有訳 扶桑社ミステリー

生きるとは何か問いかけるSFホラー 恐怖と絶望に震えていたはずなのに、読後感はすがすがしい。本書は、レイ・ブラッドベリから賛辞を受け、スティーヴン・キングやディーン・クーンツに多大なる影響を与えた、アメリカを代表するSF作家リチャード・マシ…

『その女アレックス』 ピエール・ルメートル 橘明美訳 文春文庫

プロットの妙を見る、現代サスペンス 見る角度によって絵柄が変わったり、立体感が得られたりする印刷物のことをレンチキュラーと呼ぶ。雑誌の付録などで馴染みのある人も多いのではないか。本書はそれを、小説でやってのけた、とんでもないサスペンス・ミス…

『幻の女』 ウイリアム・アイリッシュ 稲葉昭雄訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

詩情を感じる、名訳古典サスペンス 「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。」 アメリカの推理作家ウイリアム・アイリッシュ(別名義コーネル・ウールリッチ)の代表作である本書は、こんな一文で幕を開ける。まだ英単語をち…