活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

『アウシュヴィッツの歯科医』 ベンジャミン・ジェイコブス/上田祥士監訳/向井和美訳/紀伊國屋書店

※この記事は2018年4月14日発売の週刊読書人からの転載です。

数奇な運命を生き延びた若き歯科医の証言

 1941年、ポーランドの小さな村に暮らしていた二一歳のユダヤ人歯科医学生の家に、魔の手が忍び寄る。ナチス・ドイツによる強制連行だ。父とともに収容所へ送られることとなった彼の手に母が持たせたのは、歯科医療用の道具箱だった。この悪夢が終わったら、家族全員またここに戻ってくるんだからね。母のその言葉を信じたかったが、待ち受ける未来は形容しがたいほど残酷であった……。本書は、数奇な運命に導かれてホロコーストから生き延びた著者が、自らの体験を鮮明に綴ったノンフィクションである。

 そもそも、ポーランドをはじめ、当時のヨーロッパ社会では、ヒトラーの登場以前からすでに反ユダヤ主義が蔓延していた。暴言を浴びせられたり、殴られたり、商売から締め出されたり、法外な税を課せられたりと、あの手この手でユダヤ人を追い出そうとしていたのだ。

 そうした中で、著者が強制収容所で目にした光景は想像を絶した。絶え間のない労働、罵倒、暴力、裏切り。およそ人間の食べ物ではない食事、人間を食い物にするかのように繁殖し体中を這い回るシラミ。著者は終戦までの四年間にアウシュヴィッツを含む数か所の収容所をたらい回しにされるが、こうした待遇が改善されることはなかった。むしろ、恐怖は否応なしに増していった。死者の急増である。

 ナチスによるユダヤ人問題解決法が過激化するにつれ、収容所ではゲシュタポによる公開処刑が頻繁に行われるようになった。栄養失調や過労による衰弱死も常態化し、仲間は次々と斃れていった。母からの手紙で、母と姉の死も知らされた。父も、アウシュヴィッツにて仕事が遅いことに激高した囚人頭に殺害された。

 とはいえ、著者は死を待つつもりはなかった。歯科医の知識を活かして歯科治療の仕事にありついたり、監視の目を盗んで非ユダヤ人の女性と逢瀬を重ねたりと、高いリスクを冒しつつ、知性や機転を最大限に活かして窮地を切り抜けたのである。気紛らわしにユダヤ人を殺戮するSS上級曹長が、著者の治療は嫌がらずに受けて、その後家族を気遣う態度を示すエピソードなどは特に興味深い。

 思わぬ厚意や援助をしてくれた人々もいたが、やがてドイツの敗戦が濃厚となると、運命の手綱は握れなくなっていく。アウシュヴィッツから次の収容所への移送途中には、寒さのために多くのユダヤ人が衰弱し、死にかけと判断された者は放り出されるか、銃弾を撃ち込まれた。偶然にも兄と再会できた著者だったが、もはや気力は限界だった。

 そしてドイツ降伏後、戦争犯罪人として裁かれたくないナチス上級司令官によって、バルト海リューベック湾まで連れてこられた収容者たちは豪華客船にぞくぞくと乗船させられる。解放の時は近いはずだと誰もが思ったが、乗員を知ってか知らずか、船はイギリス空軍の攻撃を受け沈没。著者は兄とともに、日本ではあまり知られていないこの「カップ・アルコナ号の悲劇」からもどうにか生還したが、その他多くのユダヤ人の命が喪われたのは言うまでもない。

  著者の語りは誠実で清廉としているが、どこか超然としたところもある。それはこれらの壮絶な体験が、人ひとりが考えられる許容範囲を超えてしまっているためのように思う。人間にはなぜこんな暴力性が備わっているのか。運命を分けたのはなんだったのか。明快な答えはないが、いかなる立場の人も心に留め置くべき問いだ。

 なお、著者は戦後アメリカに移住し、2004年に亡くなった。祖国で暮らしたいと思うことは二度となかった。(1423字)