活字耽溺者の書評集

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【週刊800字書評】『歌うカタツムリ 進化とらせんの物語』 千葉聡/岩波科学ライブラリー

たかがカタツムリ、されどカタツムリ

「およそ200年前、ハワイの古くからの住民たちは、カタツムリが歌う、と信じていた。」

 そんな、ファンタジー小説のような書き出しで始まる本書は、岩波科学ライブラリーから発売された至って真面目な科学書だ。著者は進化生物学と生態学の専門家で、小笠原諸島を出発点に、世界中のカタツムリを追いかける研究者である。無論、本書の軸はあの小さくてかわいらしいカタツムリの研究史紹介なのだが、これがなかなか凝った構成で語られるので面白い。

 内容に入ろう。カタツムリ研究は、進化論とともに発展してきた。端を発するのはダーウィンの「自然選択説」である。厳しい環境に適応できた種が生き残り、進化に方向性を与え、新たな種へと変化していく考え方だ。しかしその後、これだけではすべての進化を説明できないとして、繁殖の成功は偶然によってもたらされるとする「遺伝的浮動」の考え方が提唱される。この二つは頻繁に対比され、激しく火花を散らしていく。

 この大論争で科学者たちが持ち出してきたのが、カタツムリだ。たとえば、19世紀末に宣教師として布教活動も行っていた貝類学者ジョン・トマス・ギュリックは、ハワイ諸島固有のカタツムリ(ハワイマイマイ類)が、島や谷ごとに隔離されて多様な種に分かれていることから、ランダム進化説(後の遺伝的浮動)を提示した。相手の理論を打ち負かすには、自分のモデルの正当性を証明するしかない。多くの学者が、カタツムリを使った実験と理論の提唱に明け暮れた。

 議論に勝ったり負けたり。行ったり戻ったり。沈静化したかと思えば、再燃する。それはちょうど、カタツムリのらせんのようである。何度もめぐる。繰り返す。もっといえば、人間の歴史とそっくりだ。

 そしてそのらせん構造を体現するように、冒頭の謎めいた逸話のオチが、ラストで示される。そのとき読者は感じる。カタツムリの歩みは遅々としているけれど、確実に前へ進んでいるのだ、と。ちっこいカタツムリに壮大なロマン。ユニークなたくらみが込められた一冊である。(832字)