活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

【週刊800字書評】『時間のないホテル』 ウィル・ワイルズ/茂木健訳/東京創元社

閉鎖的無限回廊をゆく娯楽SF

 原題は「THE WAY INN」で、本書に登場するホテルの名称である。どんなホテルか解説すると、世界各地に五百軒以上店舗を構える有数のホテルチェーンで、客室は百室以上。建物全体に最新設備がそなわり、巨大で魅力あふれる建築物となっている。しかし、ホテルに勤める人々はまだしも、規模にそこまで関心を払う利用客は少ないであろう。せいぜい自分の部屋とエレベーターや階段の位置を覚える程度だ。

 だが、主人公ニール・ダブルは違う。没個性な客室に大きな喜びを感じ、泊まってきたホテルすべてを心から愛しているというちょっと変わったビジネスマンである。おまけにその仕事も変わっていて、産業見本市に参加し入手した情報や利益をコンベンション不参加の顧客に売るというイベント代行業で生計を立てている。

 本書は、そんな彼がウェイ・インの219号室と大規模産業見本市を行き来する三日間を描いたSFホラーである。ここまでの説明のどこにSF要素があるのかと思う向きがいるかもしれないが、実はもう姿を見せている。ウェイ・インである。

 前半は、代行業者としてあくせく働くニールがメインだ。企業のブースを積極的に立ち回り、ホテルのパーティにも顔を出しては情報を収集する。このビジネス場面もなかなか読ませるうえ、ウェイ・インに出没する謎の赤毛の女と、ホテルの壁という壁に掛けられた奇妙な抽象画の存在が不穏なアクセントとなり、ぐいぐい引き込まれる。

 怪現象が顕在化するのは、ニールが仕事で手痛いミスをしてからだ。部屋のカードキーが作動しない。部屋のクロックラジオが奇怪な音を立てる。どこまで歩いても自分の部屋に到着しない。エレベーターの合わせ鏡がおかしい……。やがて、時空の歪みの奥にいる強大な意思の存在が明かされると、物語は急転直下。局所的、閉鎖的であるはずのホテルが、常に監視の目が光る無限の異界と変貌するのである。

 著者はロンドン在住の建築ライターで、本作は長篇第二作だそうだが、娯楽作家としてすでに練達の域に達しているように思える。技巧の尽くされた逸品である。(846字)