活字耽溺者の書評集

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『悪意の波紋』 エルヴェ・コメール 山口羊子訳 集英社文庫

悪意の波紋 (集英社文庫)

悪意で人生を論ずる

 ある事件やある人物が、波紋のように周囲の人生に影響を及ぼしていくのは、いつの時代、どこの場所でも度々見られる現象だ。本書は、『悪意の波紋』というタイトルどおり、ある瞬間に落とされた悪意の一滴が、半永久的に広がっていく様を描いた犯罪小説である。

 1971年、マイアミビーチにあるイタリア系アメリカ人富豪の邸宅に、黒ずくめの五人組の男が押し入り、名画が盗み出される。彼らはフランス人ギャングで、名画の身代金100万ドルを手に入れ、喜び勇んで祖国に帰国した。だが、その富豪は実は暗黒街のボスの顔も持っていたと知り、報復を恐れた五人は、いくつかの取り決めをして、それぞれの道を歩み出す。

 40年後、ギャングの一人だったジャックの生活を脅かす存在が現れる。高校時代の彼ら五人に赤丸がつけられた写真を持って、女性ジャーナリストが訪ねてきたのだ。彼女は、メンバーのある一人の生涯に興味を抱き、彼の評伝を書きたいと、危険を顧みずジャックにインタビューを試みる……。

 一方、レストランのウェイターであるイヴァン青年は、六年前に別れた美人の元恋人が、テレビ番組で「元彼のラブレター」を読み上げて晒しているのを見て、いてもたってもいられず、元恋人の家に忍び込んでラブレターを取り戻すことを画策する……。

 このあと、この二つの物語は突然クロスして、予断を許さない展開となっていくという、ミステリとしては定番の手法が使われるが、本書は一味違った方向に進む。これ以上はネタバレに抵触するため、実際に読んでいただく他ないが、遠回しな言い方をすると、本書は犯罪小説、もしくは群像劇という触れ込みで、一種の人生哲学を論じている。この社会は、出会いも別れも偶然の連鎖の産物と言っていい――本書はいわば、その連鎖の変遷を丸ごとミステリに仕立て上げているのだ。

 著者は1974年フランスのルーアン生まれ。本書は2011年発表の二作目の長編で、マルセイユ推理小説賞などいくつかの賞に輝いたそうだ。英米の犯罪小説と比べると重厚感はなく、かなり淡白な文体で、『その女アレックス』と同じく、ミステリにおけるフレンチ・テイストの印象を強くする作品である。ハイライトのように進行するので、映画的だとも言える。ただ、このあっさり具合は少々物足りなさを覚える。あくまで波紋の広がりを見守り続ける、といったスタンスで読んだほうが良いかもしれない。

 

悪意の波紋 (集英社文庫)

悪意の波紋 (集英社文庫)