活字耽溺者の書評集

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【産経新聞より転載+補遺】『エディに別れを告げて』 エドゥアール・ルイ 高橋啓訳 東京創元社

エディに別れを告げて (海外文学セレクション)

 

※本記事は2015年5月17日付産経新聞読書面に掲載された書評に補遺を加えたものです。

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社会の闇に迫る私小説

 エドゥアール・ルイという名は、筆名ではなく、著者の現在の本名だ。改名前は、エディ・ベルグルといい、本書の主人公の名前である。彼は、家族も故郷も自分の名前も、すべて捨て去らねばならなかった。本書は、1992年生まれ、20歳を超えたばかりの若者が、過去の自分からの逃亡の顛末を包み隠さず綴った、衝撃の私小説である。

 フランス北部、ピカルディ地方の工業地帯で育ったエディ・ベルグルは、生まれついて声や挙動が女性的で、趣味も女っぽいものに向いていた。そのため、中学では、顔に唾を吐きかけられたり、頭をレンガにぶつけられたりされるといった苛烈ないじめと暴力の標的にされてしまう。フランス語で同性愛者を嘲弄するときに使う「ペデ」という言葉を投げつけられながら。

 エディの住む村は、男が強い権力を持ち、ワルであることが最善とされる封建的かつ閉鎖的な地域であり、女っぽい彼は、父親からも気味の悪い存在と見なされ、家族の恥として白眼視される。加えて、物乞いをしなければならないくらい貧しい生活と、卒業しても就職先が工場以外ないと言っていいほどの選択肢の狭さが、少年期の彼の絶望に追い討ちをかける。このような、残酷な童話と見紛うような現実が、訥々とした語り口で露わにされ、エディと同様に、読者の心にも深い爪痕を残していく。

 著者は、本書の中で取り沙汰される貧困、格差、差別といった社会問題の数々に対し、声高に改善を主張してはいない。糾弾しているわけでもない。生のままの体験をさらけ出し可視化することにより、それらの問題がいかに根深く、複雑であるかを暗示しているのだ。だからこそ、この物語は荒唐無稽にならず、問題の実態に真に迫っているのである。

 凄絶な同性愛体験ののち、自身の境遇からの逃亡を画策しては失敗するエディ。だが、演劇が好きだったことによって、思わぬ救いの手が差し伸べられる。現在、高等師範である彼は、今後どのような人生を歩むのか。興味の尽きない一冊だ。

 

【補遺】

 2015年3月31日、東京都渋谷区で全国初の条例が成立した。4月1日より、同性婚を認め、証明書が発行可能になる「同性パートナーシップ条例」だ。しかしこの条例は賛否両論を呼び、反同性愛デモが発生したことも記憶に新しい。

 訳者あとがきによると、本書は刊行直後に、いわゆるLGBTへの反感や嫌悪、差別を告発し、これらの人々の人権や生活を守ることに功績をあげた人に贈られる「ピエール・ゲナン反ホモフォビア賞」を受賞したそうだ。それでも、フランスのAmazonレビューでは評価が非常に分かれた作品であったという。

 辛い現実と立ち向かうのは容易ではない。だが、そのようなときに、大小はあれども、心の支えとなる本は必ず存在する。著者の勇気が秘められた本書が、その一つになることを切に願う。

 

エディに別れを告げて (海外文学セレクション)

エディに別れを告げて (海外文学セレクション)