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活字耽溺者の書評集

翻訳ミステリ、サスペンス、ノンフィクション等の書評。産経新聞書評欄に不定期で寄稿。

『ソロモンの偽証』 宮部みゆき 新潮文庫

国内文学 2014年刊

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

靄の中を生きていくために

 中学時代ほど、不安定な時間はない。図体だけデカくて頭はまだまだ子供だったり、いわゆるスクール・カーストなど人間関係に苦しめられたり、コントロールに困る感情が芽生えたり、驚異的な行動力や想像力を発揮したりと、何かと身体サイズを超えた自己の変化に当惑する。

 本書の中学生たちも、そうした心理変化と、見え隠れする大人の思惑に畏れを抱きながらも、真相を究明するため、自分たちの手で「学校内裁判」を行い、大人顔負けの機転と精神力を見せる。

 そのとてつもない熱気を描いて、単行本にして全三巻。文庫で六巻。宮部みゆきファンでも、ちょっとたじろいだ読者は多いのではないか。何せ、あの『模倣犯』より長いのだから。しかし、読む価値は十二分にある。中学時代でなくとも、ひりりと心を痛める出来事を経験した人には、必ずや胸打つ場面が訪れること請け合いであり、現代における青春推理小説の名作だと言っても過言ではないからだ。

 ストーリー自体はシンプルだ。雪の降りしきる1990年のクリスマス・イヴの夜、東京・下町にある城東第三中学校で、同中の男子生徒が謎の墜落死を遂げ、告発状やマスコミの報道によって混迷を極める第Ⅰ部〈事件〉。それから約半年後の7月、死んだ男子生徒と元同じクラスの藤野涼子が発起人となって、「学校内裁判」を企画し、準備と調査に追われる第Ⅱ部〈決意〉。そして終戦記念日から六日間に渡って開かれた裁判で、事件の真相を追究する第Ⅲ部〈法廷〉。これが、長さを感じさせずに、ぐいぐいと読ませるのだから、ストーリーテラーとしての著者の面目躍如である。

 なぜストーリーに釘付けとなるのか。それは、全篇を通して妙な靄がかかった状態だからだ。

 第Ⅰ部で、警察は捜査不十分のまま事件を自殺として片づけ、学校は体裁を気にして告発状の対応を誤り、マスコミには偏向報道をされ、結局また一人同級生が命を落とす。そんな情けない大人たちへの積もりに積もった失望と幻滅が原動力となって、畳み掛けるように第Ⅱ部に移行する。が、現実はそんなに甘くはなく、中学生たちは皆目見当もつかぬ状態から、検事側と弁護側それぞれでストーリーを考え、証言や物証をこつこつと積み重ねていくことを強いられる。たとえるなら、行き着く先のわからない不穏な旅だ。

 その道程で彼らが知るのは、決してステレオタイプでない、複雑怪奇な人間関係や悪意である。野放図な息子を甘やかす父親、顔のニキビのために強烈な自意識を抱える女子生徒、兄弟のそりが全く合わないアンバランスな家庭、憎い隣人の郵便物を漁る女、狡知に長けたテレビ局記者……。もちろん、学校の先生たちをはじめ、警視庁の刑事や私立探偵、本物の弁護士といった協力者も現れはするが、「深入りしてはならない領域」の存在を匂わされる場面もある。

 彼らは、そんな大人たちを時には頼り、時には利用し、靄の中に道筋を見出していく。その過程を、子供側だけでなく、大人側の視点も織り交ぜて、一種の群像劇としているのも、飽きさせない理由の一つである。

 重要なのは、本書における「学校内裁判」とは、単純な「子供対大人」の構図ではない。心身ともに不安定な中学生たちにとっての、大人たちへの挑戦状であり、大人への通過儀礼が、「学校内裁判」という象徴となっているのだ。

 第Ⅲ部「学校内裁判」は現実の刑事裁判と比べても異例づくめである。まず、この疑似裁判は、名目上、学校から許可を得て行う課外活動であり、陪審制ではあるが陪審員は九名しかいない。また、被告人は、札付きの不良少年であるが、告発状で犯人だと名指しされただけ。つまり、検事が被告人を起訴し、公判を維持するに足る材料ではないのだ。さらには、仮に被告人が有罪となっても、裁判の目的はあくまで「真相究明」であって、処罰されることはない。

 それでも、作中にも出てくるように、黒沢明七人の侍』のごとく個性煌めく生徒たちは集い、“法廷”を開き、ソロモンさながらの知恵と正義を胸に、およそ中学三年生とは思えないような弁舌を振るって論戦をする。真相を知るために。事件の靄を打ち払うために。そして、傍聴人含め、みんなに傷ついた心を知ってもらうために。

 ミステリとしての面白さを備えつつ、これだけの紙幅を費やして、物語の中心に据えてあるのは、白か黒かの「断罪」ではない。壊れてしまった関係性の「修復」と「発展」だ。そこに、法律事務所に勤務していた経歴も持つ著者の、ティーンエイジャーたちへの優しい眼差しと、実際の裁判への切な願いを感じずにはいられない。

 バブル崩壊前夜の夏、生徒たちが異様な熱気を帯びて打ち込んだ「学校内裁判」。人は、何かに熱中したり没頭したりしたとき、自分でも驚くようなことをやってのけることがある。中学時代とは、それを無尽蔵のエネルギーでやり遂げ、靄の中へ漕ぎ出していくための第一歩を踏み出す貴重な時間であったと、大人は懐かしさとともに痛感させられるのである。

 最後に、本書の文庫版では、本編終了後に番外として、中編『負の方程式』が収録されている。『誰か――Somebody』や『名もなき毒』の主人公としてお馴染みの私立探偵杉村三郎と、本編の登場人物一人が共闘して、とある進学校の中等部で起きた〈体験キャンプ事件〉を追うというストーリーだ。本編と共通するのは、中学生を舐めてはいけないことだ。翻せば、中学生なら大人を出し抜くくらいの知恵と正義があってもいい、という厳しくも温かい著者のメッセージが込められているような気がしてならない。

 

 

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

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ソロモンの偽証: 第I部 事件 下巻 (新潮文庫)

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ソロモンの偽証: 第II部 決意 上巻 (新潮文庫)

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ソロモンの偽証: 第II部 決意 下巻 (新潮文庫)

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ソロモンの偽証: 第III部 法廷 上巻 (新潮文庫)

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ソロモンの偽証: 第III部 法廷 下巻 (新潮文庫)

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