活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

『アヘン王国潜入記』 高野秀行/集英社文庫

この記事はシミルボンからの転載です。

唯一無二の体験記

 ゴールデン・トライアングル。そこは、タイ、ラオスビルマの三国が国境を接する、世界最大の麻薬生産地である。世界のアヘン系麻薬の60%から70%はここで栽培されたものだともいわれるこの《麻薬地帯》に、秘境を愛する著者は、「ケシ栽培はどんなものか」という興味から、一九九五年、単身で乗り込む。本書は、約七ヵ月に渡るケシ栽培と、村人との交流の一部始終を記録した驚きのルポルタージュである。

 梗概を書くとこんな感じだが、中身はまったく堅苦しい内容ではない。むしろエンターテイメント本だと思ったほうがいい。なにせ、非合法でビルマに入り、問題の《麻薬地帯》であるワ州の小さな農村に潜入したものの、村人たちは牧歌的といっていいほど明るく、緊迫感はまるでないからだ。

 著者といえば、彼らと親睦を深めつつ、ケシの種蒔き、草むしり……と栽培の手伝いをするのだが、何の変哲もない、いたって普通の農業風景である。土地が土地だけに、毎夜の酒盛りくらいしか娯楽がなく、言い方は悪いがだいぶものぐさな生活習慣である。おまけに著者は興味からアヘンを吸い、アヘン中毒にまで陥る。ビルマ情勢、政治模様もしっかり記されてはいるものの、そのギャップについつい笑みがこぼれてしまう。近隣でゲリラ活動があったり、マラリアに感染したりと、わりと命の危機に晒されているのにもかかわらずに、である。

 そう、本書においてもっとも重要なのは、ジャーナリスト的な着眼は最低限にとどまっている点である。あとがきで「この本は私の心の支えである」と述懐するように、探検家としての著者のスタンスがよく表れた一冊となっている。だから骨太で面白い。

 著者は、ビルマを去った後も、国際社会だとか報道のありようだとかそういったマクロな着眼ではなく、ワ州の人々、そして村人たちは今どうしているのだろうかというミクロな視点から見る。友人の身を案ずるように。その寂寥感から、政情不安の深刻さ、ビルマの抱える問題の大きさを体感し、思わずはっとさせられる。(829字)