活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

『燃えよ剣』 司馬遼太郎/新潮文庫

※この記事はシミルボンからの転載です。

心の中に息づく戦士

 小説を読む醍醐味の一つは、自分と異なる生き方、考え方をなぞることだ。作家が生み出した豊穣な作品世界に身を任せ、登場人物の思考や行動に一喜一憂する。話が佳境となり、気持ちが入り込みすぎて、終わらないでくれ、まだ続きがあってほしい……と思わずページを捲る手を止めてしまうこともしばしばある。本書を初めて読んだときがそうだった。

燃えよ剣』は、新選組副隊長であり生粋の喧嘩師・土方歳三の一生を描く歴史時代小説である。著者は司馬遼太郎。今でこそ新選組を題材とした作品は無数にあるが、本書はその源流と言っていい。もっとはっきり言ってしまえば、これを読まずして新選組は語れない。それほどの名作である。

 武蔵国多摩郡石田村の農家に生まれた土方歳三は、生来の乱暴者で、「バラガキのトシ」と呼ばれ、周囲から恐れられていた。当初は家業の薬売で生計を立てていたが、宮司の娘と通じ合うようになったことで、初めて人を斬る。これがきっかけで八王子の比留間道場師範代と因縁を持ち、剣流試合を重ね、研鑽を積んでいく。

 その後、紆余曲折を経て壬生浪士組の一員となり、将軍在京中の市中警護を担い、活躍が認められて、新撰組が発足。副長に就任すると、局長・近藤勇の補佐役かつ部下からの憎まれ役として組の強化を図る。芦沢鴨や沖田総司永倉新八といった主要メンバーが揃い、新撰組は最盛期を迎えるが、鳥羽伏見の敗戦以後は朝敵となり、瓦解。だが、近藤勇が斬首された後も土方は戦い続け、宇都宮、会津若松、函館へと落ちていく……。

 ざっくりと書いてきたので伝わらないかもしれないが、もうとにかく、土方という男がカッコいい。思想や政治に左右されず、自分の意志を貫徹すべく、剣に拠って生きていく。短く簡潔な文体であるがゆえ、迫力ある一つの叙事詩として読めるのも特徴的だ。滅びが迫りつつある終盤の詩情は、筆舌に尽くしがたい。

 史実どおり、土方は五稜郭で死ぬ。しかし、どうしてか、読み終えた後も、心の中で一人の剣士が息づいているのが感じられる――そんな読書体験をもたらす作品だ。(855字)