活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

『テロルの決算』 沢木耕太郎/文春文庫

※この記事はシミルボンからの転載です。

二つの熱気が衝突する瞬間

 日比谷公会堂の檀上、短刀を水平に構えた白い顔の少年と、手を前に出し黒縁眼鏡がずり落ちた老政治家が立っている。17歳の右翼少年・山口二矢が、61歳の社会党委員長・浅沼稲次郎を襲撃した瞬間をとらえた、1961年ピュリツァー賞受賞の有名な写真である。

 事件後、右翼の間で、ある話が広まる。それは、二矢は浅沼を刺したあと短刀で自分を刺すつもりだったが、駆けつけた刑事に刃を掴まれてしまい、無理に抜いて手を引き裂いてしまうことをおそれ、自決を諦めたというものだ。この「二矢伝説」に惹かれた著者が、多くの事件関係者への取材をおこない、浅沼の人生と対比させつつ、この若きテロリストの人生をまとめたのが本書である。

 二矢は、一般には誰かに使嗾されてこの事件を起こしたと言われている。だが、いくつもの挿話から見えてくるのは、礼儀正しく自分の意見をしっかりと持っている少年である。しかし、父親自由主義かつ個人主義的な教育方針や、当時の強者である左翼への反撥心から、攻撃的な正義感が育まれる。そして、右翼の旗頭である愛国党に入党して安保闘争に身を投じ、過激な行動を繰り返していく……。

 そんな二矢とは対照的に、「庶民的」「演説百姓」と囃された浅沼の人生は苦難だらけだった。三宅島で庶子として生まれ、社会を良くしたいと労働運動や無産運動に参加するが、日和見主義だと折檻されたり、リンチを受けたりした。そのトラウマは深く、二度も発狂し、家族にも迷惑をかける。それでも政治への傾倒をやめず、巡礼の果ての二度の訪中で、中国の社会主義に深く感動し、積年の思いが結実するかに見えたが……。

 2008年に発売された新装版である本書は、著者のあとがきが三つある。それらすべてを読んで、改めて写真を見返すと、単純な「加害者」と「被害者」の構図ではないことに気付く。今ではとても考えられないような政治の熱気が凝縮された労作である。第10回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。(803字)