活字耽溺者の書評集

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『アデスタを吹く冷たい風』 トマス・フラナガン 宇野利泰訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

アデスタを吹く冷たい風 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

詩趣漂う、大人のミステリ短篇集

 本書は、トマス・フラナガンが1949年から1958年にかけてEQMMに投稿した短篇七篇を日本独自に編み、1961年にハヤカワ・ミステリ(ポケミス)から刊行された短篇集の文庫化である。1998年と2003年のポケミス復刊希望アンケートで最多得票となった作品としても知られる。およそ半世紀もファンに愛されてきただけあり、一読すると忘れられない独特の雰囲気が漂う、まさしく珠玉のミステリ短篇集だ。

 まず、地中海に面した架空の国家《共和国》が舞台で、職業軍人兼警察官のテナント少佐を主役とする作品が四篇。《共和国》は、「将軍(ジェネラル)」によってクーデターが起きたばかりの小国で、共和国とは名ばかりの独裁国家である。そのため、密入国や密輸に対し戒厳令が敷かれており、表題作「アデスタを吹く冷たい風」と「国のしきたり」は、この密輸入の駆け引きを主軸にロジックが展開される。

 ドライに制御された文体のため、テナント少佐の人物像はわかりにくいが、およそ総合すると、頭は切れるものの、クーデターの際に失脚し昇進の可能性はなく、傲岸不遜な態度で周囲からは敬遠される食えない男といったところだろうか。それでいて、上からの命令には忠実でありつつ、腹に一物抱えて、我を通そうともするというアンビバレントな傑物としても描かれる。現代社会と置き換えてもあまり不自然に感じられない構図だ。

 アメリカ人医師射殺事件をめぐる「獅子のたてがみ」と、殺人事件の容疑者であるドイツ人SS将校の処遇に一計を案じる「良心の問題」は、そんなテナントの正義と矜持が垣間見える、一種の反権力小説ともなっている。

 その他、裁判を終えたばかりの弁護士と友人の大学教授が、被告の怪しい過去について論じ合う「もし君が陪審員なら」、夫を殺した直後に親しい顧問弁護士を呼んで対応を協議する女を描く「うまくいったようだわね」は、誰もが想定する結末に突き進んでいってしまう滑稽さが、いわゆる「奇妙な味」を醸し出している。

 ラストを飾る「玉を懐いて罪あり」は、15世紀の北イタリアの城で、密室状態の宝物庫から緑玉が盗難した事件を発端に始まる本格ミステリである。トリックの肝といい、締めの報告書といい、黒々とした周辺各国の思惑が端々で匂わされ、歴史ミステリとしても格調高い。

 このように、一篇一篇が鮮烈であるが、とりわけテナント少佐登場作は、《共和国》の荒れた内情も含め、アフォリズムと皮肉に満ちた大人の物語である。これが四篇しか存在しないのは、なんとももどかしい(トマス・フラナガンは寡作家で、このほかに未邦訳の長篇が三作あるのみだそうだ)。テナント少佐の渋さ、内に秘めた凛々しさにばかり注目したが、ミステリとしても抜群のクオリティである。そして、各短篇の最後にふっと漂う詩趣に、どうしてか鋭く惹きつけられてしまうのだ。

 

アデスタを吹く冷たい風 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

アデスタを吹く冷たい風 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

アデスタを吹く冷たい風 (ハヤカワ・ミステリ 646)

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