活字耽溺者の書評集

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『影が行く ホラーSF傑作選』P・K・ディック、D・R・クーンツ他 中村融編訳 創元SF文庫

影が行く―ホラーSF傑作選 (創元SF文庫)

「ホラーSF」を骨の髄まで楽しむアンソロジー

 隊員服を着込んだブロンズ色の男が、少量の血液を垂らしたシャーレに、火炎放射器で熱した針を近づけていく。周りには、成り行きを食い入るように見つめる男たちと、縄で縛られた者が三人ばかり。外は極寒の南極の夜。部屋の中は薄暗く、緊張感で張り詰めている。突然、血液が悲鳴を上げ、シャーレに名前が書かれた男の顔があらぬ方向に歪んでねじれ出し、その正体を現す……。

 1982年アメリカ公開、ジョン・カーペンター監督の映画【遊星からの物体X】の有名なシーンである。原題を「The Thing」といい、文字通り「それ」としか形容できないような宇宙生物が、一人、また一人と南極基地の隊員たちになりすましていくホラーSFだ。本書は、この【物体X】原作(ジョン・W・キャンベル・ジュニア『影が行く』)を含む、未知なるものの脅威と恐怖を描いた13編からなるテーマ・アンソロジーである。

 内容は、本邦初訳が5編、雑誌に掲載されたきりだった作品が4編、定番作品が4編。

 有名作家の作から見ていくと、別次元に取り込まれた娘を救うサスペンス(R・マシスン『消えた少女』)を筆頭に、ボスの男に超能力で操られ凶行を繰り返す若者たち(D・R・クーンツ『悪夢団』)、地球に帰還した探検隊を襲う悲劇(P・K・ディック『探検隊帰る』)、ロボットと年老いた吸血鬼の交流(R・ゼラズニイ『吸血機伝説』)といった、SFファンならば誰しも一度は聞き覚えのある名前が揃い踏みとなっている。

 これらの紹介を見てわかるとおり、恐怖の対象はエイリアンばかりではない。大都会の生活排水で育まれた不定形の生物が排水管を上って襲来する(T・L・トーマス『群体』)、廃墟の心霊現象をSF的アプローチで解き明かそうとする二人組(K・ロバーツ『ボールターのカナリア』)、近未来の人工人間の狂気(D・ナイト『仮面』)、アンドロイドの奇妙な暴走と持ち主の男の逃避行(A・ベスター『ごきげん目盛り』)などは、ホラーよりもSF色が色濃く出ている。

 クトゥルフ神話の怪物のようなモンスター造形の作品も多い。言語を絶するほどの異形の生物との戦い(F・ライバー『歴戦の勇士』)、火星の地下墓地に潜むヒルのような悪魔(C・A・スミス『ヨー・ヴォムビスの地下墓地』)、孤島の灯台守を襲う幻覚と幻聴(J・ヴァンス『五つの月が昇るとき』)は、豊富な語彙と丹念な描写で読者を震え上がらせてくる。

 トリを飾るのは、ネビュラ賞受賞の中編(B・W・オールディス『唾の樹』)である。19世紀イギリスの片田舎の農場に飛来した異星人に、人間を含めた動植物が、餌としてじわじわと太らされていく顛末を描いたサスペンスである。オールディスは同じ英国人としてH・G・ウェルズに多大なる影響を受けており、オマージュとして作中でウェルズを登場させているのも面白い。

 巻末には、「ホラーSF私論」と題された、訳者の中村融氏の解説が掲載されている。ホラーSF系列作品の歴史や、作品誕生の時代背景が事細かに分析されており、こちらも読み応えたっぷりである。

 収録作はすべて古典であるが、古臭さは全くと言っていいほど感じられない。新訳によって、ホラーSFというジャンルの恐怖が、現代の作品においていかに普遍的となっているか、納得させられる。充実の名アンソロジーだ。

 

 

影が行く―ホラーSF傑作選 (創元SF文庫)

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