活字耽溺者の書評集

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『ストリート・キッズ』ドン・ウィンズロウ 東江一紀訳 創元推理文庫

ストリート・キッズ (創元推理文庫)

青年探偵の痛快で哀切な長い夏

 軽口は叩くけれど、ニヒルになりきれない。冷徹に振る舞おうとしても、ついつい感情が出てしまう。モラトリアムにありがちな葛藤だ。本書は、そんなナイーブさをひた隠しにして、機転の良さと天性の才能を頼りに事件へ立ち向かう青年探偵を描き切った、“ソフトボイルド”の名作である。

 時は1976年初夏。銀行の裏組織「朋友会」に所属する23歳の元ストリート・キッド、ニール・ケアリーのもとへ、父親代わりの上司ジョー・グレアムから仕事の連絡を受ける。8月の民主党全国大会で副大統領候補に推されるであろう上院議員の、行方不明の17歳の娘アリーを捜し出してきてほしい、という依頼だ。期限は大会まで。

 議員の話によると、アリーは薬物中毒で夜遊びが激しく、性に溺れている不良少女である。釈然としないものを感じながら調査を始めたニールは、議員夫人から衝撃の事実を聞かされる。そして彼は、三週間前にアリーが最後に目撃された地、ロンドンへと飛ぶ。ニールの、長くほろ苦い夏が始まった……。

 ドン・ウィンズロウはニューヨーク出身のハードボイルド作家。デビュー前は、記者、俳優、ディレクター、教師、研究員など、様々な職業を渡り歩いていた。アフリカ史の学士号と軍事史修士号を持ち、その知識を活かして政府関係の調査員として従事していた時期もある。イギリス国防省の調査活動でロンドンにいた際に大怪我をし、入院中に自らの体験をベースに書き上げたのが本書だ。1991年のエドガー賞の処女長編賞にノミネートされている。

 驚くべきは、処女作とは思えないほどの圧倒的で瑞々しい文体である。三部構成500ページあまりある長編にもかかわらず、機知に富んだ言い回しと、軽妙洒脱なタッチで自由自在に駆け抜けていくのだ。

 キャラクター造形も魅力的だ。もろい心を隠すために、減らず口だけでなく、大好きな読書に逃げるという一面も持つニール。ひねくれ者の性悪だが、いつでもどっしり構えた、頼り甲斐のあるオヤジのグレアム。とにかくニールを毛嫌いしながら支援はしっかりする「朋友会」のエド・レヴァインなど、挙げだすとキリがない。

 とりわけ、ニールとグレアムの父子のような師弟関係が面白い。ニールの探偵技術は、グレアムに教えられた。母親は娼婦、父親は行方知れずで、文無しの路上生活を送っていた少年時代に、ちょっとした掏摸事件を起こして彼と出会い、その才能を見込まれたのである。「父さん」「坊主」と呼び合う二人の会話はたまらなく愉快だ。ニールが“ソフトボイルド”から“ハードボイルド”に成長していく過程も見逃せない。

 このような奔放な物語とキャラクターたちの魅力を損なわず、存分に引き出しているのが、東江一紀氏の翻訳である。印象的なところを一部引用してみる。中盤、ヤクの売人でありポン引きの男とアリーが熱い抱擁しているのを見たニールの独白だ。

 前にもこんな光景を見たことがあるけど、どこでだったっけ? そうそう、人生の半分は、こんな光景の連続だった。ポン引きはポン引きであってポン引き以外の何者でもない。父さんも然り。おっと、これは失言だ。

 東江氏は昨年6月21日に62歳で亡くなられた。まさに、この名作にこの名訳あり、であった。

 

 

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