【追悼1】『ナイチンゲールの屍衣』P・D・ジェイムズ 隅田たけ子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫
暗さの中の人生哲学
偉大な女流作家が去る11月27日に亡くなった。94歳であった。
P・D・ジェイムズは、1920年オックスフォード生まれの本格推理作家で、42歳のときにアダム・ダルグリッシュ警視シリーズ第一作『女の顔を覆え』でデビューし、寡作ながらも、CWA賞(英国推理作家協会賞)のシルバー・ダガーに三度輝き、1987年には功績を残した作家に与えられるダイヤモンド・ダガーを受賞した。1999年にはMWA賞(アメリカ探偵作家クラブ賞)の巨匠賞も受けている。
そして本書は、そのダルグリッシュ・シリーズの第4作で、1971年のCWA賞シルバー・ダガーを受賞した作品である。彼女の名を一躍有名にし、アガサ・クリスティの後継者と謳われるまでに押し上げた出世作と言っても過言ではない。
重苦しい雨が降る一月のある朝、ジョン・カーペンター病院で、「胃内への栄養管による給食」の実地訓練中に、患者役の看護学生が、混入した毒物によって死亡した。さらにその16日後、別の看護学生が、嵐吹き荒れる真夜中に、当病院の看護養成所ナイチンゲール・ハウスの自室で毒入りウイスキーを飲まされて殺害された。
スコットランド・ヤードの主任警視ダルグリッシュは、この二つの事件の犯人を同一犯とみて、捜査を開始する。しかし、彼を待っていたのは、病院というプライバシーのない閉鎖的空間の中の、いびつで複雑怪奇な人間関係だった……。
彼女の小説を読むと、たいていの人は「暗い」「重い」といった印象を抱くだろう。執拗なまでに書き込まれた心理描写、改行の少ない文章、陰険な登場人物など、重々しさにあふれている。本書はそれらがより強調され、供述や独白から看護婦たちの醜く卑しい人間関係と愛憎がじわじわとあぶり出されていくさまは、もはや「陰鬱」と形容すべきほどだ。
ジェイムズは、医師の夫を長い闘病生活の末に亡くしてから、娘二人を養うために、創作活動のかたわら、病院管理の資格を得て十数年ほど国民保険協会で働き、1968年からは内務省で警察関係の仕事をしていた。彼女の著作に病院や療養所が多く登場し、細やかな人間性の描写に長けているのは、これらの経験が活きているからだとみていいだろう。
ダルグリッシュのキャラクターもどこか湿っぽい。長身痩躯の中年男性で、そこまで頭脳明晰でもタフでもなく、翳りをもった知的で孤高な人物として描かれている。詩を嗜んでもおり、業界ではそれなりに有名であるらしい。
そんな彼の堅実な捜査によって、事件は急速に解決へと向かうが、前述したようなエグさと寄り道の多さで、人を選ぶ作品であるのは否めない。だが、それらを乗り越えて、事件ノンフィクションさながらの登場人物たちの恐慌の果て、象徴的なラスト・シーンまで辿り着いたとき、そこに波乱の人生を送る、彼女の推理小説に懸ける強固な意志が見え隠れするのだ。力作である。
女の顔を覆え (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 129-6))
- 作者: P・D・ジェイムズ,山室まりや
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1993/05
- メディア: 文庫
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