『縮みゆく男』リチャード・マシスン 本間有訳 扶桑社ミステリー
生きるとは何か問いかけるSFホラー
恐怖と絶望に震えていたはずなのに、読後感はすがすがしい。本書は、レイ・ブラッドベリから賛辞を受け、スティーヴン・キングやディーン・クーンツに多大なる影響を与えた、アメリカを代表するSF作家リチャード・マシスンの、珠玉のホラー長編だ。
退役軍人のスコット・ケアリーは、洋上でのバカンス中に、放射能を含んだ海霧を浴び、さらには殺虫剤の成分との相互作用によって、一日に7分の1インチ(約3.6ミリ)ずつ縮んでゆく運命を背負う。物語は、自宅の地下室で昆虫程度のサイズまで縮んだ彼の最後の七日間のサバイバルを中心に、症状が表れ始めてからの彼の人生が回想として断片的に織り交ぜられて進んでいく。
本書の特筆すべきホラー的要素は、なんといっても巨大な黒後家蜘蛛である。まだ名前を紹介されない男が謎の海霧を浴びるプロローグの直後、場面変わって、この蜘蛛が「風のない砂山を疾走すると、脂光りする巨大な卵のような腹部が、どす黒い怒りをみなぎらせて小刻みに揺れた。」といった描写とともに突如として出現し、冬の地下室で男を追いかけ回すのだから、読んでいる側の驚愕はすさまじい。しかもこの蜘蛛、冬の地下室で、二センチほどに縮んだ男・スコットを執拗に襲ってくるのである。マシスンの丹念な描写によって、このあたりの恐怖はまさに悪夢であり、人によってはトラウマを覚えてもおかしくはない。
そんな状況にもかかわらず、スコットはずっと孤独である。家族の誰も助けに来ない。その理由は、彼の独白とフラッシュバックによって次第に明らかになるのだが、その経緯は人間臭さも相まって、読み進めるのがなかなか辛い。余命宣告された人間がどのような心理状態を経ていくのか、まざまざと見ることができる。喪失の恐怖に、世間からの好奇の視線、支えてくれていた妻との関係の変化、ベビーシッターへの欲情、父親に対する娘の尊敬心の欠如……。
飢えと寒さに苦しみ、蜘蛛の恐怖に怯えながら、彼は自分の運命を呪い、生きるとは何なのか懊悩する。迎える最後の日、彼はある境地に辿り着き、驚きのラストへ向かう。
リチャード・マシスンは1926年ニュージャージー州の生まれで、1950年に作家デビューし、以後そのアイデアの豊富さとストーリーテリングの巧みさから、ホラー、SF、ミステリなど幅広いジャンルで活躍する。彼の名前には馴染みがない人が多いが、彼の映像化された作品を観たことも聞いたこともない人はほとんどいないはずだ。
まず、映画化されたものでいうと、近年でいけば『アイ・アム・レジェンド』(2007年)、『運命のボタン』(2009年)、『リアル・スティール』(2011年)などがある。テレビドラマ化されたものでは、スティーヴン・スピルバーグの出世作『激突!』(1971年)が有名である。また、脚本家として『トワイライト・ゾーン』(1959年~1964年)、『事件記者コルチャック』(1974年~1975年)などのテレビドラマも手掛けている。
そして本書は、もとは1957年の映画『縮みゆく人間』の脚本として書かれており、現在ハリウッドで三度目の映画化が進行中であるそうだ。マシスンは昨年6月に87歳で亡くなったが、スティーヴン・キングがホラー評論『死の舞踏』の一章分を使って本書の分析をしていることからも、マシスンが与えた影響の大きさを窺い知ることができる。
おどろおどろしい恐怖小説としても読めるし、啓発書としても読める。人生の縮図と読む人もいる。名作は、概してそれくらいのふところの深さを持っているものである。そして秘められたメタファーや寓意がなんとなくでもわかってきたならば、掛け替えのない読書体験が待っている。
※なお、完全新訳として2013年に扶桑社ミステリーから発売された版には、巻末に作家デイヴィット・マレルのあとがきと、映画評論家の町山智浩氏の解説が載っているが、ネタバレを含んでいるため初読の際には留意されたい。
- 作者: リチャード・マシスン,尾之上浩司
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/11/08
- メディア: 文庫
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