活字耽溺者の書評集

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【書評】独善的な男の人生省察『イタリアン・シューズ』(ヘニング・マンケル/柳沢由実子訳/東京創元社)

イタリアン・シューズ

※この記事は産経新聞からの転載です。

独善的な男の人生省察

 世捨て人。嫌なことが続いたり、人間関係に悩んだりしていると、社会との繋がりを一切遮断するそうした生き方に憧れる瞬間がある。

 しかし、困難から逃げても人生が好転するとは限らず、むしろ傷口の規模を広げてしまう場合があるのもまた事実だ。本書の主人公、スウェーデン東海岸群島の離れ小島で一人暮らす66歳の男フレドリック・ヴェリーンに突きつけられるのも、そうした過去からの罪状だ。

 本書は北欧の作家ヘニング・マンケルが2006年、58歳のときに発表した小説である。マンケルといえば刑事ヴァランダー・シリーズが有名だが、本書はミステリー色の薄い独立した作品となっている。

 物語はヴェリーンの一人称で進行するが、何より目につくのがこの男の性格だ。あまり好感の持てる人間じゃないのである。他人の荷物をあさる、手紙を勝手に読む、会話を盗み聞きするのは常習。自意識が強く、己のプライドを守るためなら平然と嘘をつく。自分に正直といえば聞こえはいいが、なにぶん感情が複雑で傷つきやすく、急に感情を噴出させたかと思えばすぐに自己嫌悪したり、読者はおろか本人にも理解できない行動に出たりする。とにかく孤立しやすい気質なのだ。

 そんな彼のエゴの塊ともいえる孤島の住処に、37年前に捨てた恋人が現れたことで無味乾燥とした生活は一変、引きこもって空費した時間ならびに背けてきた現実を受け止めざるをえない状況に陥っていく。だから穏やかな話では全くない。むしろさまざまな悔悟や警句に満ちた悲喜こもごもの激動の旅なのである。 

 彼のような独り善がりな人間から人生訓を学び取るのは難しいかもしれない。が、大きな過ちを経験しなければ見えてこないこともあるのではないか。評者はヴェリーンの半分も生きていないせいか、その答えを求めていずれまた本書に手を伸ばすという確信めいた予感がある。より多くのことを知り、より納得のいく選択をしていくために。

 老人が主役ではあるけれど、男女問わず幅広い年齢層に味わい深い感慨と省察をもたらしてくれる一冊だろう。(842字)

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