活字耽溺者の書評集

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【書評】壮絶で高濃度な流転の旅――『どこに転がっていくの、林檎ちゃん』レオ・ペルッツ/垂野創一郎訳/ちくま文庫

壮絶で高濃度な流転の旅

 なんだか可愛らしいタイトルで、中身も300ページほどとコンパクトだが、話はなかなかにハードな小説である。だが読み終えたあと、思いもかけない境地に至らされ、運命的な出会いがあった日の帰り道のような陶酔した感覚がしばらく抜けなかった。それなりに本は読んできたつもりだが、こんな気分にさせられることはあまりない。確信を持って言えるのは、私はこの本をいずれ再び読むに違いなく、生涯大切にしようと心に決めたことだ。
 ともかく内容の紹介をしよう。本書は1885年プラハ生まれのユダヤ系作家レオ・ペルッツが40歳の時に書いた作品だ。ペルッツは『第三の魔弾』や『スウェーデンの騎士』など、一風変わった不思議な歴史小説や冒険小説を著しヨーロッパ全土で人気を獲得。本書はこれらと比べるとそれほど幻想的ではないが、奇想とも言える独特の味わいは従来どおりだ。
 時刻は第一次世界大戦終結間際。捕虜収容所から故郷ウィーンに帰還した29歳の将校ゲオルク・ヴィトーリンは、復讐の炎を燃やしている。相手は、収容所司令官で幕僚大尉のロシア人セリュコフ。ヴィトーリンは彼から受けた侮辱で怒り心頭に発し、必ずやロシアに戻って決着をつけてやると誓ったのだった。
 かくしてロシア再訪の計画を立て始めるヴィトーリンだったが、次々と問題が生じる。まず復讐を誓い合ったはずの仲間が降り出す。一人は社交と女遊びで充実した生活を取り戻し手が離せない。一人は自分の貿易仕事に夢中になっている。一人はそもそも関心が失せていた。
 さらに悪いことに、家族が崩壊の危機に瀕していた。父親が失業しかけているというのだ。その隙を狙ってか、資産家の男がヴィトーリンの妹に求婚してきており、あんな鼻持ちならない奴と結婚したくないと妹に泣きつかれる。高給な就職先の話や恋人の熱心なアプローチももたらされ、どう見ても考え直すべきとしか思えない。
 だがしかし、ヴィトーリンはすべてを振り払って、単身北へと向かう。当時はまだどの国も政情不安と戦火がくすぶっており身の安全は保証されてなどいない。冷静に考えれば無茶苦茶なその闘志をテロリストのごとく過激化させつつ、自分の周囲のみならず行く先々の人々にも不幸を撒き散らして宿敵を追跡する……。
 はてさて、どこに転がっていくのか。イアン・フレミングが「天才的」と評した、壮絶で高濃度なこの冒険を是非とも堪能していただきたい。