活字耽溺者の書評集

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【書評】『進歩 人類の未来が明るい10の理由』 ヨハン・ノルベリ/山形浩生訳/晶文社

※この記事はHONZからの転載です。

悲観に入れ込みすぎないように

 ニュース番組を見て憂鬱になる。新聞やインターネットの記事を読んでげんなりする。暗い内容ばかりだからだ。シリア情勢、温暖化、テロに凶悪犯罪、不況、所得格差、貧困、差別、少子化・高齢化、災害。マスメディアは脅威を報道するのが基本だし、これらすべて顕在化している問題であるとはいえ、連日こうしたニュースを見ていると、そんなにメンタルの強くない筆者などはすぐ気が滅入ってしまう。ひどい時代に生まれてしまったものだと思わずにはおれない。

 そうしていだかれた悲観論に一石を投じるのが、本書だ。一言で説明すれば、人類がここ2世紀あまりで飛躍的に進歩し、死のリスクが大幅に低下したことをデータとともに示した本である。著者はスウェーデン生まれの作家・歴史家で、グローバリズム自由貿易の推進を訴え続けている人物だ。本書について彼はこう述べる。

 現代において、私たちは自分の生活を改善する自由を与えられ、それにより世界を改善した何百万もの人々により、ゆっくりした着実で自発的な発展から生じた、驚異的な進歩を忘れてはいけない。それは、どんな指導者も機関も政府も、トップダウンで押しつけられるものではない。

 それゆえ、現代は人類史において最高の生活水準と言える――というわけだ。

 大前提としてまず挙げられるのが、食料不足の改善だ。人間はごはんを食べなければ死ぬ。今は飽食の時代と言われるけれど、ほんの200、300年前までは最先進国ですら食べ物の余裕がなかった。飢餓は普遍的かつ頻繁に発生する現象で、18世紀の英仏人たちの平均摂取カロリーは現在最も栄養失調に苦しむサブサハラアフリカの平均よりも少なかった。農業技術の発展や化学肥料の開発によって、21世紀の今、飢饉による死者数は100年前の2%にまで減っている。 

 食料と同じく重要なのが、水まわりだ。日常生活に不可欠な水が汚染されていたらどうなるかは、コレラチフスの歴史を追えばわかるだろう。原因は劣悪な衛生環境だ。例えば中世イギリスの村落には家屋に便所が存在せず、排泄は家からちょっと離れた場所で行うのがあたりまえだった。宮殿の廊下には貴族の排泄物が転がり、人口が集中する大都市部では至る所にゴミや汚物が散乱していた。これらが雨などで流れ、飲料水を汚染したのだ。19世紀末からの衛生運動の高まりによって、上下水道整備、ゴミ処理が徹底され、死亡率は格段に下がった。

 食料事情と衛生が向上するにしたがって、人間の寿命は大幅に延びた。1900年の世界の平均期待寿命は31歳だったが、今では71歳である。これは医学の発展によってあまたの人間を殺戮してきた病原菌への対策が進んだことも大きい。ペスト、結核、梅毒、はしかなどの病は今やワクチンや抗生物質で闘うことができる。20世紀初頭には年間で200万人を殺害してきた悪名高きマラリアは今後数十年で撲滅されるとの予測が立っている。人類を苦しめる病気はまだまだあるが、防衛・対抗手段は間違いなく増えている。

 健康かつ生きていられる時間が長くなれば、それだけ他の目標に取り組める。まず貧しさから脱するため、人々は労働に精を出し、産業革命ならびにグローバリゼーションによって世界各国の経済は急速に成長した。ただし、この発展は酸性雨やスモッグ、地球温暖化といった環境悪化を呼び起こしもした。だが、豊かになればなるほど難題に挑戦する余裕のある人が増えるのも事実で、こうしたアクセスをもっと多くすればそのぶん改善が早まる、というのが著者の主張である。

 また、暴力の減少も、人類の大きな成長と言える。世界史や日本史をひもとかずとも、人類の歴史が血にまみれているのは誰もが知るところだ。グリム童話には殺人、人肉食、性的暴力といった民話が並び、古代ギリシャ叙事詩は殺人カタログさながら、拷問や処刑は時として見世物、娯楽にさえなっていた。司法や中央政府の制度確立、民主主義と個人主義の台頭、期待寿命の延伸による自由市場の発展で、犯罪率は15世紀ごろから低下の一途となっている。

 日常的な暴力は減ったが、政治的な目的の暴力は減ったとは言い難い。20世紀には世界を巻き込んだ二度の大きな戦争が発生し、第二次大戦では約5500万人が死亡し、ヒトラー毛沢東スターリンといった独裁者たちはおよそ1.2億人を殺害した。だが、こうした惨禍の現実は写真や文書に記録され、平和運動への足掛かりとなった。加えて、各国が経済成長で富むにつれて、少なくとも民主主義国家同士では戦争をしない傾向が強まっているとの分析も紹介されている。

 高い所得と社会の安寧がもたらされれば、識字能力、ひいては教育が促進される。文章の読み書きができれば、より多くの知恵に触れられ、自由への渇望が生まれる。識字能力と自由の獲得によって、他者への寛容性と理解力が高まり、同時に権利や平等への希求も強まっていく……。

 本書の読みどころは、各分野の進歩は独立のものではなく、すべてつながっていることが明快に示されている点だ。一朝一夕に改善された問題など一つとしてない。そしてこれらは、目新しい事実でもなんでもなく、常識として知っていてもおかしくないことがほとんどだ。が、現代に生きる我々はついつい当然のものとして享受し、世界をより良くしようと尽力した人々の存在は忘れ、負の面ばかり見てしまう。

 著者もかつては悲観論を持っていたが、世界中を旅しては歴史研究を重ね、世間が共有していた古き良き時代が実はとてもひどいものであったと理解し、楽観論にシフトした。彼が警鐘を鳴らすのは、この良い流れを受け入れられないために逆行・阻害しようとする勢力に対してだ。悲観はリスクからの回避として進歩を促す力はあるものの、往々にしてポジティブよりネガティブであるほうがいつでも正しく道徳的であると思い込んだり、ノスタルジーのあまり今と未来を否定したりしやすくなってしまうのだ。

 付言すれば、著者は将来を楽観してあぐらをかいていても良いと言っているわけでもない。本稿の冒頭で挙げた諸問題がどうなるかまだわからないし、現状がオールオッケーでもない。過去から学ぶべきことはいくらでもある。避けるべきは、絶望して歩みをやめてしまうことだ。人類の破滅と終末を叫ぶ言説が蔓延する中で、先人たちに敬意を払い、明日を生きる活力を与えてくれる稀有な啓蒙書である。(2576字)