活字耽溺者の書評集

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【800字書評】『アイリーンはもういない』 オテッサ・モシュフェグ/岩瀬徳子訳/早川書房

※この書評は2018年4月29日付産経新聞読書面からの転載です。

醜悪な心を書き尽くす

 死者のような、慈悲深い無の微笑み――24歳のアイリーンが仕事中につけていた表情だ。彼女は内奥に秘めた激情を抑えるためにこの仮面をかぶり、内気で平凡な人間のふりをして生活をしていたのだ。本書はそんな彼女が故郷も名前もすべて捨てて行方をくらますまでの一週間を、50年後のアイリーン自身が回顧する形で綴った物語である。

 はじめに断っておくと、読んでいて気持ちの良い話では全くない。なぜなら、一人の若き女性の不安定な情緒が、おぞましく克明に描き出されているからだ。

 自分の体形にあらわれた女らしさを嫌悪し、食事もまともにとらず、食べたものはすぐに吐くか、下剤に頼る。人目を引かぬよう、服は死んだ母の形見ばかり着て、不格好に見えることも厭わない。日中から酒をあおり、幻覚に怯える父親を激しく憎むが、良い子のふりをしてやり過ごす。少年矯正施設という名の監獄での勤務中は、孤独な女を演じつつ、入所してくる少年たちや男性同僚に対して下劣な想像を膨らませる。友達はおらず、自己評価が低い一方で、周囲を内心で見下しては快感に浸る……。

 いうなれば彼女は、著しく未成熟なのだ。大方の人間が社会に出る前に折り合いをつけてしまう過剰な自意識を、制御に苦しむくらい肥えさせてしまい、持て余して暴走しているのである。老境に入ったアイリーンの語りは、冷淡なようでいて、醜悪だった自分を書き尽くさんとする執念に満ちており、そこに記憶違いや行動の矛盾も入り交じって、鬼気迫るサスペンスとなっている。

 アイリーンの転機は思いもかけず訪れる。彼女はいったい何を見、何を経験したのか。このミステリー的な趣向が、読む者を惹きつけて離さない。暗い情念が横溢しているのに、青春小説のような一抹の清々しさも備えた、比類なく鮮烈な作品だ。

 著者は1981年ボストン生まれの作家で、2015年に発表した本作は、PEN/ヘミングウェイ賞を受賞したほか、数々の文学賞にノミネートされた。(801字)