活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

【800字書評】『小説の言葉尻をとらえてみた』 飯間浩明/光文社新書

辞典編纂者、iPad片手に小説世界で用例採集

 本の読み方は、多種多様である。時間をかけて一冊の本を読み込む人もいれば、速読を是としてとんでもない勢いで読む人もいる。内容の解釈一つ取ってもその人の個性が出るので、SNSなどで読書感想を拾ってみるだけでもなかなか面白い。

 本書の著者も、変わった読み方をする人だ。国語辞典編纂者であるこの方は、ストーリーを味わうのとは別に、小説を新しい言葉の生まれる現場、すなわち用例採集の場として楽しんでいるのだ。本書は、そんな著者が物語の中に入り込んで(!)、iPad片手に好き勝手にことばを採集するという趣向で書かれた、ひじょうにユニークな一冊である。

 取り上げられた作品は15作。ミステリー、ファンタジー、ホラー、ライトノベルなど、ジャンルはばらばらだが、すべて2000年代以降に発表された現代小説だ。

 一番手は、『桐島、部活やめるってよ』。正門で男子生徒たちががやがや騒ぐ場面。著者はある人物のセリフに反応する。

「お前、チャリ貸したるんやでこげや」

 この「貸したるんや」は関西方言の特徴を持ち、「~で」は中部地方の方言によく見られるという。作者の朝井リョウ岐阜県出身である。つまり、この作品は作者の生まれ育った地域のことばが反映されている……と、名探偵のように読み解いてしまう。

 興味を引くのは、その小説の舞台となる時代に存在しない言葉が出てくる場合だ。例えば、江戸時代が舞台の宮部みゆき『桜ほうさら』では、80年代に生まれたとされる「云々かんぬん」なんて言葉が登場するし、80年代の東京を描く吉田修一横道世之介』では、1993年に初出の「たるい」が出てくる。

 著者はこうした表現に対して決して非難を加えない。なぜなら、著者のスタンスは一貫して、「この言葉が生まれた(使われた)のはどうしてか」という関心による探究だからだ。

 誤用に文句をつけるより、どんな秘密や由来があるか考えたほうがよっぽど建設的で面白い。好奇心と優しい眼差しに包まれた、まったく新しい文芸評論の誕生だ。(814字)