活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

【800字書評】『僕には世界がふたつある』 ニール・シャスタマン/金原瑞人、西田佳子訳/集英社

予測不能な精神の海の深淵めざして

 本書の原題は「CHALLENGER DEEP」。太平洋にあるマリアナ海溝最深部、チャレンジャー海淵のことである。15歳の主人公ケイダンは、この海淵に沈む財宝をめざす海賊船の乗組員だ。他の乗員は、何かにつけてケイダンを脅す片目の船長に、おしゃべりなオウム、頭の回転が異様に早い航海士などなど、へんてこなやつばかり。彼らは筋が通っているようで要を得ない暗示的な会話を交わしつつ、大海原を進む。

 その一方でケイダンはアメリカの高校に通う生徒でもある。絵描きの才能を持ち、家族はみな優しく、一緒にRPGゲームをつくる友達もいる、ごく普通の少年だ。白いプラスチックのキッチンの悪夢と、自分を殺そうとする人間への恐怖を除いては。

 ケイダンにとっては、どちらの世界も紛うことなき真実だ。相容れないふたつの真実。だが、次第にこのふたつは混ざり合い、不穏な気配をもたらしていく。本書はその様子を真摯に書きとめたYA小説である。

 端的に言ってしまえば、ケイダンは精神疾患を抱えている。前述の被害妄想のほか、一貫性のない思考、奇妙な言動、強迫観念と、精神病に理解のある人ならば思い当る症状がいくつも盛り込まれている。これらがケイダンの一人称で語られるため、ファンタジックでありながら、予測不能の生々しいリアリティが張りつめている。

 しかし、だからといって、海洋冒険をするケイダンの空想が全くの非現実かというと、そうではない。ここが本書の白眉で、実はどの世界も驚くほど巧緻に作り込まれていることが徐々に明かされる。この興趣は上質なミステリそのものである。

 著者はアメリカの小説家で、YA作品を多く手掛けており、本作は著者の息子の闘病経験がベースとなっている。読み始めはとりとめのないイマジネーションの奔流に辟易するかもしれないが、ぜひ通読してほしい。暗い深淵を見てしまった人、そして深淵を少しでも理解したい人すべてに贈る素晴らしい書物だ。2015年全米図書賞児童文学部門受賞。(800字)