活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

『あのころのパラオをさがして 日本統治下のパラオを生きた人々』 寺尾紗穂/集英社

※この記事は10月13日発売の週刊読書人からの転載です。

過ぎ去った大きなうねりにゆれる心

 南洋に浮かぶ島国パラオパリ講和会議直後の一九二〇年から太平洋戦争終結の一九四五年まで、この国は日本の委任統治領、すなわち植民地であった。南洋庁が設置され、多くの日本人や朝鮮人が移住し、島民と生活をともにした二五年間。そこには、どんな日常があり、どんな戦争があったのか。中島敦の「南洋もの」作品群をきっかけにパラオに惹かれた著者は、パラオで暮らした日本人、現地のパラオ人、元移民たちの三つの視点から七五年前の南洋を生きた人々を追いかけた。本書はそれを集成したものである。

 梗概を簡単に書くとこんな感じだが、これだけではこの本の魅力はほとんど語れていない。というのも、著者は取材対象の言葉を「思考と感覚の両輪で事実を捉えていく」ため、論文らしさを取っ払った、「ノンフィクション・エッセイ」の形式を取っているからだ。

 その独特のスタンスは冒頭から発揮される。パラオに向かう飛行機の中で著者は、南洋庁に赴任する中島が八歳の息子にあてた手紙と同じように、六歳の娘に向けて手紙を書くのだ。中島がどんな心持ちで南洋に旅立ったのか想像しながら。中島は以後も、著者の旅の水先案内人となって、たびたび登場する。

 かくしてパラオに降り立った著者は、中島敦の作品や、彼と親交の深かった彫刻家で民俗学者土方久功の著作を頼りに、彼らと交流のあった人物や、国立博物館、史跡を訪ねて回る。日本の統治によるインフラの整備や教育の発展で、現在でも「親日国」と呼ばれるパラオだが、実際はそのような美談ばかりでなかったことを裏付ける証言もある。

 国立博物館の順路の最後にあった、日本兵パラオ人に振るった暴力についての和訳なしの展示。日本人を頂点とする、たしかなヒエラルキーハンセン病患者が日本軍に殺された事件。日本軍の食糧確保のため、高級将校の間で交わされた島民虐殺計画(ただし下級将校やパラオ憲兵の反対により未遂)。このような日本の暗部を知りながらも、母親の命を救ってくれた日本軍医への感謝と恋心で、今も日本への思慕を持つ八五歳のニーナさん。軍国主義の名残が垣間見える、日本語混じりのパラオの歌「デレベエシール」……。

 二度のパラオ訪問と、元移民への取材を経て、七五年前のパラオさがしは、いつしか戦争という大きなうねりの爪痕に迫る旅となり、著者の心はゆれる。証言者たちの生の声から、彼らの内面を推し量ろうとしたが、そのあまりの重さ、複雑さに、うまく言葉を見つけられなかったからだ。

 しかし、この誠実な姿勢こそが、人間の心の襞、人と人との関係を捉えるためには大切なことだと思えてならない。白か黒かの断定、是か非かの二元論を繰り広げて、その事物や事象について知ったような気になっている頭でっかちには、決してたどり着けない境地であろう。

 膨大な資料と、血肉の通った数多くの証言、そして著者の真摯な心のあらわれを色鮮やかにパッチワークした、熱い使命を感じさせる一冊だ。(1209字)