活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

『海岸の女たち』 トーヴェ・アルステルダール/久山葉子訳/創元推理文庫

※この記事は2017年7月16日付産経新聞読書面からの転載です。

異邦の地で闇を暴く

 舞台美術家のアリーナ・コーンウェルは、じりじりしていた。彼女のおなかには、夫パトリックとの間に授かった新しい命があり、それを伝えたくて仕方がなかったのだ。ヨーロッパへ取材に渡ったフリージャーナリストの夫は、すでに10日以上も音信不通となっていた。

 そんな彼女のもとへ、パトリックから小包が届く。中には、愛用の手帳、「あとひとつだけやることがあるんだ」と綴られた手紙、不審な男たちをとらえた写真が数枚。不安に潰されそうになったアリーナは、夫の行方を追うべく、消印を頼りに、ニューヨークからパリへと飛んだ…。

 こうして開幕する本書は、スウェーデン生まれで現在ストックホルムに在住する著者が2009年に発表したデビュー作なのだが、驚くことにスウェーデンは舞台とならない。だが、他の北欧ミステリーと同じく、社会の歪みや不条理を取り扱い、ひりつくような仄暗さを持っている。本書で掘り下げられているのは、移民問題だ。

 パリに降り立ったアリーナは、数少ない手がかりをもとに、パトリックの情報を集める。彼は、アフリカから海を渡ってくる不法移民問題に執心していた。それも、移民の是非ではなく、移民を奴隷化して食い物にする犯罪組織の存在を嗅ぎ付けていたのである。スペイン南端の海岸に流れ着いた黒人の死体の発見者や、ボートで密入国を図る移民の視点も差し挟まれて、展開は読めなくなっていく。

 夫の跡をなぞるようにして、事件に深入りするアリーナ。特筆すべきは、この移民問題を、彼女自身が乗り越えるべき障害として物語に溶け込ませている点である。つまり、夫の捜索という本筋から一切ぶれないのだ。だから、問題が孕む深刻性も、異邦の地でひとり必死に夫を探す彼女の姿も生々しく、より真に迫るものとなっている。

 しかし、そうした緊迫感にばかり意識が傾いていると、思わぬツイストや転調に横っ面を張られるので油断できない。読む者を飽きさせない工夫を精緻にちりばめた秀作ミステリーである。(817字)