活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

『悪の教典』 貴志祐介/文春文庫

※この記事はシミルボンからの転載です。

人間くさい悪の本質

 暴力に巻き込まれたい、と思う人はいない。暴力が好きだ、なんて人は、当たり前だがまともな人間生活を送れない。やったが最後、一瞬で社会の鼻つまみ者である。

 しかしフィクションの世界となると話は別だ。現実では暴力を忌避するのに、小説や映画では血なまぐさい乱闘を見たがる。正義の名のもとに殺人が行われて、嬉々としている。あまつさえ、そういった場面を見て、痛快だという人もいる。

 何も、そんな人々を糾弾したいわけではない。フィクションの力を借りて日常の憂さを晴らしたいと思うのも人間の性であり、なんらおかしいことはない。

 本書『悪の教典』は、「暴力を思う存分見たい」という後ろ暗い欲望を持つ人とっては最高のエンターテイメント・ホラーだ。ダークヒーローとなるのは、私立晨光学院町田高校の英語教師である蓮実聖司(愛称ハスミン)。表向きは生徒からの人望の厚いカリスマ教師だが、裏の顔は他者への共感力が著しく欠如した殺人鬼で、問題解決のためには殺人も厭わない。受け持つクラスを都合の良い「理想の王国」にするべく、彼は明晰な頭脳とフットワークを活かして、次々と邪魔者を排除していく。

 というのが本書の簡単なあらましだが、このハスミン、サイコパスではあるけれど、実はなかなか人間くさい。序盤こそ、機械的に殺人を繰り返す描写や、狂気あふれる少年期の挿話で、恐ろしく怜悧な印象を与えるが、過剰な自信のあまり、ミスが徐々に増えていく。白眉となる後半の殺戮では、失敗を隠蔽するためさらにリスキーな手段を取るようになっており、元アメリカ金融街のエリートとはとても感じられない。

 言うなればハスミンは、精神面でまったく成長してこなかった大人で、失敗を受け入れることができない駄々っ子なのだ。つまり、「天才的な知能を持つ」という側面はあっても、我々にかなり近しい存在なのである。しかし、その身近さが、彼の短絡的な狂乱がもたらす恐怖をより一層強くしており、逆にぞっとさせられてしまう……。どこまでも不気味な作品である。(835字)