活字耽溺者の書評集

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【800字書評+補遺】森をさまよい始めた人へ――『羊と鋼の森』(宮下奈都/文春文庫)

※本記事は2015年12月13日付産経新聞読書面に掲載された書評に補遺を加えたものです。

 物語は、北海道の山間の集落で育った一人の青年が、十七歳のとき、放課後の体育館で、ピアノが「森の匂い」のする音色を放つのを聞いたことに始まる。鍵盤を押すと、羊毛でできたフェルトのハンマーが、対応する鋼の弦を叩く。ピアノが音を出す仕組みだが、彼が森を感じたのは演奏ではなく、調律であった。本書は、その音色に導かれるようにして、調律という森の中に飛び込んだ青年・外村の成長を描く長編小説である。

 専門学校で2年修行したのち、「森の匂い」を立ち上らせた調律師・板鳥と同じ楽器店に就職した外村だったが、ピアノの経験もなければ音感もなく、音楽の知識にも乏しいことを引け目に思い続けている。あまつさえ、調律の技術にも自信を持っていない。そんな、情熱はあるけれど良くも悪くも実直すぎる彼に対し、板鳥をはじめ、先輩調律師たちはさまざまな言葉を授ける。「この仕事に、正しいかどうかという基準はありません」「堂々としていたほうがいいんだ。不安そうな調律師なんて誰も信じないからさ」……。

 先輩について回るうち、外村はアドバイスの意味を悟っていく。たとえば、お客さんから「やわらかい音にしてほしい」と注文されたとする。このとき調律師は、お客さんのイメージする「やわらかい音」を共有する必要が出てくる。さらには、お客さんの技量、ピアノの特性、ピアノのある部屋の音響から湿度まで、考えられる限りの条件を加味して、お客さんの要望にかなった音を提示することが求められる。つまり、基本的な技術以上にちょっとやそっとでは身につかない感性や経験が問われるのである。

 正解のないこの抽象的な音の世界が、著者特有の豊かで巧みな比喩と絶妙に調和して、より深遠な境地へと到達している。それは転じて、どんな仕事にも通底する、大切なハートの部分を描き出すことにも成功している。だからこそ、終盤に外村が、自信や才能の有無ではなく、お客さんがピアノを最も美しく奏でられるよう努力する姿に勇気づけられるのだ。(823字)

 

【補遺】 

 読み終えた後、もっと前向きに生きようとか、今歩いている道をもう少し信じたいとか、そういう力が、心の深いところからわいてくる。『スコーレNo.4』でもそうだったが、著者の本を読んだ後は、周りの景色がそれまでと違って見えてくる。著者の、端正で真摯な文章に、いつの間にか励まされている。私は外村と年齢が近いせいか、なおさらそう感じた。

 外村と同じく森をさまよい始めた人間として、私がいちばん心に留まった言葉を引用する。後半、悩める外村に対し、手厳しい先輩・秋野がかける言葉だ。

「才能がなくたって生きていけるんだよ。だけど、どこかで信じてるんだ。一万時間を越えても見えなかった何かが、二万時間をかければ見えるかもしれない。早くに見えることよりも、高く大きく見えることのほうが大事なんじゃないか」