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活字耽溺者の書評集

翻訳ミステリ、サスペンス、ノンフィクション等の書評。産経新聞書評欄に不定期で寄稿。

『声』 アーナルデュル・インドリダソン 柳沢由美子訳 東京創元社 

海外ミステリ・サスペンス 2015年刊

声

 癒えない傷との対峙

「なんという人生だ」

 殺された男のかつての師が、男の孤独な生涯を聞き、悲嘆のあまり放った言葉だ。この言葉は、姿形を変え、幾度となく物語に表れ出ては、事件を捜査するエーレンデュルの内で重く響き渡る。読むものもまた、彼が抱え込んでいる心理的な窮状に、冷たい刃でゆっくりと切られるような痛みを感じ取る。人生について。家族について。執拗に書き込まれたその傷との対峙こそが、このシリーズの唯一無二の面白さを生み出す源泉であろう。

 本書は、アイスランドのミステリ作家アーナルデュル・インドリダソンによる、『湿地』『緑衣の女』に続く捜査官エーレンデュルシリーズの第三作である。

 事件は、クリスマス間近、首都でも指折りのホテルで元ドアマンのグドロイグルが殺されたことに端を発する。現場は、華やぐホテルとは無縁の鬱屈とした地下室。彼はサンタクロースの扮装のまま何度も切り刻まれていた。露出した下半身から垂れ下がるコンドーム。趣味を示すものがほとんどない牢獄のような部屋。壁に一枚だけ貼られた「子どもスター」シャーリー・テンプルのポスター。あまりにも惨めで哀れな死だった。

 レイキャヴィク犯罪捜査官のエーレンデュルは同僚二人とともに聞き込みを始めるが、グドロイグルはホテルに住み込みで二十年も働いてきたにもかかわらず、関係者は口を揃えて「彼のことはよく知らない」と言い、男の人物像がつかめない。しかし、彼を訪ねてホテルに宿泊していた古レコード蒐集家のイギリス人の話から、グドロイグルが少年時代、特別で繊細な「声」を持つボーイソプラノとして名を馳せていたことを知る……。

 グドロイグルの生い立ちと、悲劇を生んだいびつな親子関係がつまびらかになっていくと同時に、同僚エリンボルクが担当する児童虐待事件の裁判と、エーレンデュル父娘のひりつくような関係がサブストーリーとして展開される。このように緻密な重層構造をもって、「事件の真相究明」というメインプロットはやや後退し、シリーズに通底する、家族関係や人生への哲学的問いが中心に据えられる。本作では、エーレンデュルが少年時代に受けたトラウマも語られ、彼の内奥で渦巻く精神的試練がより生々しくなっている。

 とはいえ、過去作と比べると、どぎつさは多少であるが和らいでいる。それは、エーレンデュルが時折見せるウィットや、傷心の彼を癒すような女性の登場に見ることができる。彼の人生は、これからどうなっていくのか。治らないような傷を見つめ続けるのは、誰でも辛い。だからこそ、彼の葛藤が、深く沁みる。

 

声

 

 

緑衣の女

緑衣の女

 

 

湿地 (Reykjavik Thriller)

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