活字耽溺者の書評集

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【産経新聞より転載+補遺】『真夜中の北京』 ポール・フレンチ 笹山裕子訳 発行:エンジン・ルーム 発売:河出書房新社

真夜中の北京

 

※本記事は2015年9月27日付産経新聞読書面に掲載された書評に補遺を加えたものです。

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3度の捜査で甦る真実

 1937年1月の北京。凍てつく寒さの中、狐の精が棲むといわれる望楼・狐狸塔の下で、若い女性の惨殺死体が発見された。身元は、北京在住の元英国領事ワーナーの養女パメラ。奇怪なことに、遺体からは心臓がむしり取られていた。「北京は世界で一番安全な都市なのよ」。友人たちにそう言い残して宵闇に消えていった彼女の身に何が起こったのか。本書はこの事件の真相と、戦争の気配に緊迫する当時の北京の様子を仔細に伝える、極めて濃密なノンフィクションミステリーである。

 捜査は、北京警察局スコットランドヤード出身の英国人刑事の共同作業という異例の形式で幕を開ける。彼らはまず、パメラの身辺情報と、事件当夜の足取りを調べる。西洋建築が立ち並ぶ外国人たちの居住区(公使館区域)、彼女の通っていた天津グラマースクール、そして犯罪人が跋扈する治外法権領域バッドランズ。

 だが、雑多な人種や列強各国の思惑に翻弄され、彼らもまた帝都の混沌に呑まれていく。やがて事件は未解決で打ち切られ、直後に発生した盧溝橋事件の混乱とともに、時代の荒波に流されてしまう。簡明で抑制の利いた文章で綴られたこれらの事実の連なりに、並々ならぬ迫力と労力が宿っている。

 著者は中国現代史の専門家。当時北京に住んでいたアメリカ人作家の著作にこの怪奇的事件の記述を見つけ、それから足掛け7年、中国と英国の双方にまたがって膨大な資料にあたり、本書を完成させた。

 そこまで著者を突き動かしたものは何か。それは、パメラの父ワーナーが記した文書を偶然にも見つけたことだ。実はワーナーは、日本軍の手中にあった北京で執念強く事件を追いかけ続け、5年を費やして、あの夜娘を襲った残酷な真実を突き止めていたのだ。七十数年の歳月と、北京警察、被害者の父親、著者という三度もの捜査を経て、ようやく白日の下にさらされた暗黒社会の蠢動に、ただただ慄然とする。米国エドガー賞、英国ゴールド・ダガー賞受賞。

 

【補遺】

 本書の頭には当時の北京市内の地図が、巻末には狐狸塔や公使館区域、登場人物の写真が大量に掲載されており、歴史資料として読むのも面白い。300ページ程度でそこまでの厚さはないものの、重く心を打つ、読み応え十分な好著である。

 

真夜中の北京

真夜中の北京