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活字耽溺者の書評集

翻訳ミステリ、サスペンス、ノンフィクション等の書評。産経新聞書評欄に不定期で寄稿。

『謝るなら、いつでもおいで』 川名壮志 集英社

ノンフィクション・人文書・研究書 2014年刊

謝るなら、いつでもおいで

10年の歳月を経て

 少年期にニュースで見聞きした事件や事故は、なぜか心に強く残っている。佐世保小六同級生殺害事件はその一つである。事件が発生した2004年6月1日、私もまた小学六年生だった。同い年の女の子が、同級生の女の子の首をカッターナイフで掻っ切って殺すという残忍さに衝撃を受けるとともに、遠い世界の出来事のようでいて物凄く身近で発生したような気味の悪い感覚に陥ったことをよく覚えている。事件の実情を知って、気持ちの整理をつけたい。この本に手が伸びたのは、そんな理由からだった。

 本書は、事件を10年に渡って取材し続けてきた毎日新聞記者によるノンフィクションである。著者は、入社して4年目、初任地の佐世保支局でこの事件に遭遇した。

 他の事件ノンフィクションと比較すると、本書の視点はやや特殊である。著者と被害者家族の関係が非常に密接であるためだ。実は、被害少女、御手洗怜美さんの父親・御手洗恭二さんは毎日新聞佐世保支局長で、著者の直属の上司であった。佐世保支局は小さく、三階は支局長の住まいだったために、著者は共に食卓を囲んだことがあるほど家族的な付き合いをしていたのだ。

 第一部では、事件発生からの百日間が語られる。「怜美が死んだ」そう言い残し支局を離れた御手洗さん。不夜城と化した支局で、私的な感情に揺れ惑いながら、機械的に記事を書き続け、疲弊していく著者。奇を衒わない平易な文章が、胸に迫る。

 ご存じのとおり、14歳未満の少年少女は少年法よりも児童福祉法が優先され、刑も罰も科せられない。犯罪の軽重は問わず、「社会の網の目からこぼれ落ちた被害者」と見なされ、刑事上の責任能力が問えないからだ。本書は、何かと固くなりがちなこれらの法の噛み砕いた説明や、それに伴う加害少女の処遇の経緯の詳述があり、理解しやすい。

 「なぜ殺したのか?」その答えを求めて加害少女の心理を探ろうとする少年鑑別所、家庭裁判所、マスコミ……。やがて、部活動を辞めた経緯、ブログでの揉め事、ホラー小説好きといった、動機を読み解くバックグラウンドが徐々に明らかになる。だが、加害少女から被害者遺族への謝罪の言葉はなく、発達障害として児童自立支援施設に送られ、事件は終幕を迎える……。

 しかし、それはあくまで世間一般の「終幕」である。著者は、その後もこの事件を追いかけた。そして、御手洗さん、加害少女の父親、怜美さんの兄の三人の10年間の葛藤が綴られた第二部こそが、本書の肝である。

 だが、彼らが吐露した心情は、本稿では詳しく記せない。10年という重みが、軽々しい要約を許さないからだ。それでも、これだけは言っても良いだろう、タイトルの「謝るなら、いつでもおいで」とは、怜美さんの兄の言葉である。題字も彼のものだ。理不尽な現実による懊悩の果てに導かれた答えに、圧倒される。

 言うなれば、本書は彼らからの手紙だ。成人し、どこかで暮らしているはずの加害少女への想いがしたためられた、痛切な呼びかけなのだ。

 

謝るなら、いつでもおいで

謝るなら、いつでもおいで