読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

活字耽溺者の書評集

翻訳ミステリ、サスペンス、ノンフィクション等の書評。産経新聞書評欄に不定期で寄稿。

『帰ってきたヒトラー』 ティムール・ヴェルメシュ 森内薫訳 河出書房新社

海外文学 2014年刊

帰ってきたヒトラー 上

国の未来を憂う危険なコメディアン

 世の中には、深入りすればするほど危険が高まる事柄が存在する。それは、様々なメディアに姿形を変えて存在し、理性的に立ち回らなければ、こちらが取り込まれてしまう恐ろしさだ。本書は、そのリスクを、「現代に甦ったヒトラー」を題材にして、笑いとともに描き出した風刺・パロディ小説である。

 2011年8月30日、ベルリンの公園の片隅で突如として目覚めたアドルフ・ヒトラー。彼には、1945年にベルリンが陥落する寸前までの記憶しかない(自殺したかどうかも曖昧である)。服装は当時のドイツ帝国軍人の制服のままで、口からほとばしる奇妙で強烈な言葉の数々も含めて、周囲の人々は彼をヒトラーそっくりのコメディアンだと思い込む。

 近くのキオスクの主人に拾われたのち、テレビ制作会社に目をつけられた総統は、その弁舌と適応力の高さを活かし、芸人としてコメディ番組に出演、YouTubeで70万回という驚異的な再生回数を獲得、大衆紙〈ビルト〉との対決、緑の党の党首との対談と、メディアを巧みに利用しドイツ社会に旋風を巻き起こしていく。

 言うまでもなく、ドイツではナチス礼賛はご法度、『我が闘争』は発禁状態で、ヒトラーは20世紀最悪の犯罪を主導した怪物であり、ドイツ最大のタブーである。しかし、本書は2012年9月にドイツ国内で発売されるとたちまちベストセラーとなり、欧米諸国からアジア各国まで翻訳された。映画化も決定しているそうだ。

 訳者あとがきによれば、著者は「これは研究書ではなく小説だから」と、いわゆる後注をつけてはいけないという制約を翻訳者に課したのだそうだ。つまり、ヒトラーの一人称(独白)で進むこの物語を、読者は否が応でも彼の嗜好や人生観をなぞって自分で解釈していかねばならないのだ。本書の序文には、著者のこんな文章が綴られている。

「最初は彼を笑っていたはずなのに、ふと気がつけば、彼と一緒に笑っているからだ。ヒトラーとともに笑う――これは許されることなのか? いや、そんなことができるのか?」

 キオスクで働き、クリーニング屋と揉め、子どもにサインを求められ、テレビ局で芸人扱いをされるヒトラーのオヤジは、堪らなく滑稽である。だが、人種的な偏見に満ちながら、誰よりもドイツの未来を憂い、芯のしっかりした若者を好み、失礼は必ず詫び、軟弱で無気力な人間を嫌うといった彼の論理の一貫性に、彼の周囲のみならず社会全体が魅了されていく。まさに著者の言葉通りに、読者もその熱狂の中にいる現実に、ヒヤリとされられるのだ。

 作中でヒトラーも述懐するが、1933年にナチスが政権の座に就いたのは、国民が選んだからだ。国民の大多数が、怪物や極悪人に酔狂で投票するはずがない。本書がドイツ本国で発売できたのは、彼の人心掌握の過程を現代に置き換えて、風刺として取り込まれないように調整されていたためである。

 また、本書はカリスマ性のある人物とメディアの関係性が非常に上手く描かれている。いわゆる「ふわっとした民意」をつかもうとした市長や、SNSを愛用する政治家、力強い口調で人気を博した首相といった面々が浮かんでしまうのは、偶然だろうか。

 

※2014年1月、ヒトラー遺産の管理人であるバイエルン州は、学術的な注釈をつけた『我が闘争』の発行を認める方針に転換した。

 

帰ってきたヒトラー 上

帰ってきたヒトラー 上

 

 

帰ってきたヒトラー 下

帰ってきたヒトラー 下