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活字耽溺者の書評集

翻訳ミステリ、サスペンス、ノンフィクション等の書評。産経新聞書評欄に不定期で寄稿。

『歌うダイアモンド』 ヘレン・マクロイ 好野理恵 他 訳 創元推理文庫

歌うダイアモンド (マクロイ傑作選) (創元推理文庫)

この世の謎に悲愴を込めて

 ミステリはたいてい、はじめに事件があり、その謎を解き明かしていくという構造を成しているが、そもそも世の中には謎があらゆる所に存在している。はるか昔から、一般に言われる超常現象や怪奇現象の類から、人間の心理や精神まで、大小はあれども多くの謎が明示され、人類に向けて解答を求め続けてきたのは、今更事細かに書くまでもない。

 本書は、そのような混沌とした謎に、皮肉と悲愴を込めて「解答」を示した、アメリカの女流推理作家ヘレン・マクロイの異色の短篇集である。

 どのように異色か、収録作九篇のあらすじを簡単に紹介していく。

 まず、謎の飛行物体の目撃者が相次いで怪死する、ミッシング・リンクをテーマにした表題作『歌うダイアモンド』、ドッペルゲンガーに苦しめられる女性教師の謎を追う『鏡もて見るごとく』には、マクロイのお抱え探偵役の精神科医ベイジル・ウィリング博士が登場し、駆け足ながらも合理的な決着を見せる本格ミステリとなっている。

 人工食品のみ食すことが許される世界を描くディストピア作品『Q通り十番地』、父親と不可解な円盤を見た少年が宇宙飛行を目指すノスタルジー『八月の黄昏に』、火星人と地球人のシニカルな出会いを描く『ところかわれば』、滅亡に向かう世界の果ての小さな窪地で起きる静謐な詩『風のない場所』は、徹頭徹尾SF系統の作品で、マクロイの社会への風刺と悲観が確かな存在感を放っている。それも、怯懦など一切ない、美しい筆致である。

 悪夢と現実が混然一体となって、人間心理を深く掘り下げた『カーテンの向こう側』も、マクロイのそのような価値観が顕れていると言える。そして、美術評論家としての経歴も持つ彼女の博学多識さを、絢爛な文体で綴ったのが、清朝末期の混沌とした北京で起きたロシア公使夫人失踪事件を追う『東洋趣味(シノワズリ)』である。漂う無常観と儚さが、読者に強く切なく揺さぶりをかける。

 以上八篇は、マクロイの自薦短篇である。本書には、ボーナストラックとして中篇『人生はいつも残酷』が収められている。15年前に盗犯の汚名を着せられ殺されかけた男が、事件の真相を知るため、名前を変え町に舞い戻ってみると、自分は死亡したことになっていた――といった、一癖も二癖もあるミステリとして味わい深い。読めない展開や巧みな伏線も見事である。

 このように本短篇集は、ミステリだけでなくサスペンスやSFなど、幅広い射程から「謎」へのアプローチを仕掛けている。その際、合理的な説明がなされるのは主にミステリ作品だが、SF作品も、諦観とほんの少しの希望を結末に示しているあたり、彼女なりの「解答」だと考えていいだろう。

 加えて、どの短篇も、「解答」を示したのちに、どきりとする楔を打ち込んでくる。当時すでにマクロイと離婚していた推理作家ブレッド・ハリデイは、本書の「まえがき」で、その楔について「どの物語の最後にも、疑問符とぞっとするような身震いがある。」と述べているように、読了後も、ジャンルを超えたその深甚たる詩情に、この世の在りようを想起させられてしまうのである。

 マクロイは、1904年ニューヨークに生まれ、フランスに留学し長らく文筆活動を行った後、1938年に『死の舞踏』で作家デビューを果たし、1950年には女性として初めてMWA(アメリカ探偵作家クラブ)の会長に就任。前述のウィリング博士シリーズをはじめ、多くの作品を発表し、1994年に死去した。1990年にはMWAの巨匠賞を受けている。

 アメリカで本書の原著が刊行されたのは1965年。二度の大戦と、襲い来る社会不安が、彼女にどんな影響を与えたのか想像に難くない。一言だけ申し添えるならば、本書で語られている悲愴とは、慈愛の裏返しである、ということであろうか。

 

 

歌うダイアモンド (マクロイ傑作選) (創元推理文庫)

歌うダイアモンド (マクロイ傑作選) (創元推理文庫)

 

 

歌うダイアモンド (晶文社ミステリ)

歌うダイアモンド (晶文社ミステリ)