活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

『サラの鍵』 タチアナ・ド・ロネ 高見浩訳 新潮クレスト・ブックス

サラの鍵 (新潮クレスト・ブックス)

忘れられない記憶と向き合う

 小説を読んでいると、たまに、本を閉じた後も登場人物が心の中で生き続けることがある。私にとってそのうちの一人は、本書の語り手、ユダヤ人少女サラであった。ナチス占領下のパリを生きる彼女を襲った悲惨な出来事。彼女の慟哭に気付いた、もう一人の語り手、現代のパリを生きる女性記者ジュリア。本書は、歴史的事実である“ヴェルディヴ”事件をもとに、悲しみの記憶にどう向き合っていくかを描いた、忘れることのできない小説である。

 第二次世界大戦中の1942年7月16日。すべてはこのときから始まる。

 当時すでにナチス・ドイツに占領されていたフランス政府は、親独的な政策を推進し、その日の早朝、パリとその近郊に住むユダヤ人の一斉検挙に踏み切った。その数13,000人弱。彼らはまずヴェロドローム・ディヴェール(略称ヴェルディヴ)という屋内競技場に連行され、劣悪な環境で6日間留置されたのち、アウシュヴィッツに送られた。生還できた者は400人足らず。子供は一人もいなかった。

 サラとその家族も検挙の対象であった。しかし、連行寸前、機転を利かせたサラは、弟ミシェルをアパルトマンの納戸の奥の秘密の空間に隠し、鍵をかけた。「じゃ、あとでもどってきて、出してあげるからね。絶対に」――

 それから60年後のパリ。45歳のアメリカ人ジャーナリストのジュリアは、フランス人の夫と娘とともに平穏な暮らしをしていた。ある時、6年間ライターをつとめている週刊誌の編集長から、“ヴェルディヴ”についての特集記事を頼まれる。資料を読み込み、生存者にインタビューを重ねていくジュリア。それが、家族の秘密を暴くことになってしまうと知らず……。

 フランス政府は、長年、この事実をタブー視してきた。この一斉検挙を主導したのが、ナチスではなくフランス警察と憲兵であったからだ。しかし1995年7月16日、当時のシラク大統領が演説で“ヴェルディヴ”についてついに認め、国家として正式に謝罪し、フランス国民に深い衝撃と当惑が広がった。自分たちの国もホロコーストの狂気に加担していたという現実に。

 著者も、この演説にショックを受けた。特に、子供たちの悲惨な運命に心を痛め、この事件を埋もれさせてはならないと、徹底的な調査を行い、書き上げたのが本書である。「まえがき」には、こんな言葉が綴られている。

 本書は歴史書ではなく、歴史書を意図して書かれたものでもない。これは“ヴェルディヴ”の子供たち、あの、ついに生還することのなかった子供たちと、辛うじて生き残ってすべてを証言した子供たちに対する私の供花である。

 著者タチアナ・ド・ロネは1961年パリ郊外生まれの作家。パリとボストンで育ち、イギリスで英文学を学んだ後、パリへ戻って雑誌の特派員などを勤めた経緯を持つ。どことなくジュリアと重なる部分が多い。そこに、“ヴェルディヴ”への彼女の並々ならぬ意志が見てとれる。

 物語の前半は、サラの過酷な収容所生活と、ジュリアの着実な調査が交互に切り替わるというサスペンスのような展開となっている。そして、過去と現代がある一点で結ばれた瞬間、サラに衝撃的な結末が訪れ、後半は哀切に満ちた鎮魂へと向かう。

 サラを助ける人々は現れるものの、彼女の直面した現実は、あまりにも惨たらしく、救いがない。ジュリアは、自分の人生が変わっていくことに煩悶しながらも、サラの絶望を少しでも背負おうと疾走する。その姿に、読者はいつしか、悲惨な出来事にどう立ち向かうか問いかけられていることに気付かされるのである。 

 人は誰しも、忘れえぬ記憶を持っている。決して容易には話せない秘密を抱えている。往々にしてそれらは鋭い痛みを伴い、消しようとも消せない悲しみを背負っている。奇しくも、去る2015年1月27日は、アウシュヴィッツ解放から70周年で、各地で追悼式典が催された。出席者たちは、どのように過去と向き合ってきたのか――。その答えの一つを教えてくれる一冊だ。

 

 

サラの鍵 (新潮クレスト・ブックス)

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