活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

『猟犬』 ヨルン・リーエル・ホルスト 猪俣和夫訳 ハヤカワ・ミステリ

 

猟犬 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

秋雨の降る数日間、苦難に立ち向かう父娘

 北欧から、またしても、ユニークな警察小説シリーズが登場した。舞台はノルウェーオスロ周辺。著者はヨルン・リーエル・ホルスト。新人作家ではない。本書は、ヴィリアム・ヴィスティング捜査官シリーズの第八作目で、洗練された文体に盤石のプロット構成と、熟練の技が光る作品となっている。そのうえ、著者は本作を発表した当時はまだ現役の警察官だったというのだから、リアリティも申し分ない。

 秋の長雨が続く日曜日、オスロの南西のラルヴィクという都市の警察署に勤務する捜査官ヴィリアム・ヴィスティングは、行きつけのカフェバーでゆっくりしていると、ノルウェー最大のタブロイド紙で事件記者をしている娘リーネから電話がかかってくる。17年前にヴィスティングが指揮し解決に導いたセシリア・リンデ誘拐殺人事件で、容疑者の有罪の決め手となった証拠品が警察の手によって偽造されていたとする記事が、父の写真付きで一面トップに載るというのだ。

 ヴィスティングは、もやもやとしたものを抱えながら、事件の記憶を呼び起こす。一方リーネは、電話の直後に飛び込んできた殺人事件の一報を受け、場合によっては〆切までに父の記事の差し替えが可能かもしれないと考え、現場に急行する。警察よりも早く被害者の自宅を割り出した彼女は、そこで犯人と思しき人物に襲われる……。

 本作は、2012年に発表後、同年に母国ノルウェーのゴールデン・リボルバー賞、2013年に北欧の最優秀ミステリ作品に贈られる「ガラスの鍵」賞、2014年にスウェーデンの推理作家アカデミーが最も優れた翻訳ミステリに贈るマルティン・ベック賞をそれぞれ受賞し、栄えある三冠を達成している。

 特徴的なのは、作中で流れる時間はたったの数日、不測の局面、過去と現在が絶妙に繋がる瞬間といったサスペンスの要素を一通り揃えてはいるものの、派手な展開がほとんどないことであろう。地道に情報を集め、仮説を立て、着実に推理していく様は、どちらかと言えば本格ミステリのような味わいである。強引さも齟齬もない、堅牢で見事なプロットだと言う他あるまい。三冠も納得である。

 リーネの願いは叶わず、翌日の新聞には父の記事が載り、署の会議に出席したヴィスティングには、即時の停職処分と査問委員会の設置が言い渡される。時を同じくして、新たな女性の行方不明者が現れるが、停職では何もできない。苦渋の中、潔白を証明するため、当時の捜査資料をコテージに持ち帰り、手落ちがあったのではないかと、ひとり事件の再検証を試みるヴィスティング。娘の情報収集力にも助けられて、事件はやがて一つの絵となっていく。

 この父娘のコンビも本書の魅力の一つである。お互いが自分の立場と能力を最大限に活かして、一緒に推理したり、別々にリスクを冒して動き回ったりして、この苦難を乗り越えようと努力する。言ってみれば相棒同士のような信頼関係だ。シリーズの他作品でもそうなっているのか、邦訳が待ち遠しくて仕方がない。

 また、タイトルの「猟犬」とは、他の臭跡に目もくれず狩りたてる犬たちのこと。つまり、自説に合致する情報にのみ気を取られていた過去の自分たち捜査官を揶揄した言葉である。17年の時を経て再び事件と向き合うヴィスティングの葛藤と心理的な闘いが、秋の冷たい雨が降り注ぐオスロフィヨルドの雰囲気に不思議とマッチし、重厚な迫力となって読者に訴えかけてくる。

 

 ※過去に邦訳されたノルウェーの推理作家の小説というと、調べたところ、カリン・フォッスム『湖のほとりで』(PHP文芸文庫)、ジョー・ネスボコマドリの賭け』(ランダムハウス講談社文庫)などがあるが、ノルウェーと聞いて、これらの作品タイトルが即座に思い浮かぶ人は相当な翻訳ミステリファンであろう。加えて、巻末の訳者あとがきによると、ハヤカワ・ポケット・ミステリ収録のノルウェー作家の作品は一作(ベルンハルト・ボルゲ『夜の人』)のみだったそうだ。

 

 

猟犬 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

猟犬 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)