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活字耽溺者の書評集

翻訳ミステリ、サスペンス、ノンフィクション等の書評。産経新聞書評欄に不定期で寄稿。

『孤独の歌声』 天童荒太 新潮文庫

国内文学

孤独の歌声 (新潮文庫)

孤独を憂う人へ贈る

 本書は、タイトルどおり「孤独」をテーマに据えた小説である。孤独とは、他人との接触や関係が希薄な状態を指して使われる言葉だ。が、勘違いしてはならないのは、本書でいう孤独とは、現代的にいう「ひとりぼっち」や「集団に溶け込めない者」の単純な悲哀ではない。たとえ集団の中にいて、友人がたくさんいても、自分の想いや心の傷を真に理解してくれる人などいない、でも、わかり合いたい、わかってほしい――といった、アイデンティティの「孤独」を描いた作品である。

 物語は、三人の視点が入れ替わりながら進行する。

 東京のとあるベッドタウン。ひとり暮らしの若い女性ばかりが誘拐され、惨たらしく殺される事件が立て続けに発生していた。

 「わたし」こと朝山風希刑事は、担当であるコンビニ連続強盗事件を捜査しながら、独断でその連続殺人事件も追いかけている。一方、音楽事務所に所属し、コンビニでアルバイトをしている「おれ」こと芳川潤平は、テープレコーダーをいつも持ち歩き、浮かんできた詩やメロディを吹き込んでいる。そして、連続殺人犯の「彼」は、次の女性を探し求めて、潤平が夜勤をしているコンビニに入る。そこへ、件のコンビニ強盗が押し入り、三人の人生は思わぬ交錯を見せる……。

 著者は1960年生まれの小説家。1994年に「天童荒太」名義で日本推理サスペンス大賞に応募した本書『孤独の歌声』が優秀作を受賞し、村上龍らから激賞を受けた。

 「彼」による、女性たちへの猟奇的な監禁場面や殺人描写は、思わず目をそらしたくなるほど凄惨である。だが、荒削りながらもその峻烈な描写は、本作以後の『家族狩り』や『永遠の仔』といった作品に通底する、家族問題や人間心理への鋭い問いかけとシンクロする。どちらかといえば、そのテーマ性は他作品よりも色濃く、ストレートだ。

 主要登場人物の三人とも、孤独をまとうきっかけとなったトラウマがある。

 風希は、中学時代に、補導員を装った誘拐犯に騙され、一緒にいた親友が殺される事件に遭遇し、警察官になった現在でもそのときの罪の意識に苛まれている。陸上部だった潤平は、リレーメンバーだった友人を事故で亡くし、失意のうちに親友と恋人にも裏切られ、傷を癒やせぬまま逃げるように上京していた。狂気に満ちた「彼」は、表向きはごく普通の会社員だが、いびつな家庭環境で育ったためか、「家族」への執着が異常に強く、その理想に合致した妻を見つけるため、誘拐と殺人を繰り返している。

 コンビニ強盗事件後、「友達なんかいねえよ」と叫ぶ潤平に惹かれた風希は、捜査を通して何度か対話を試みる。潤平も呼応するように風希を意識し始める。それは、友情や恋愛感情とはまた違う、いわば、似たような傷を持つ者同士のささやかな交流だ。近すぎず遠すぎず、ひとりぼっちだけど、ひとりではないと認め合える存在。やがてその関係は、屈折した「彼」との対峙のとき、思いもかけない力となるのである。

 現代において、ひとりぼっちは、社会生活を満足に営めない淋しい人だともれなくレッテル貼りをされてしまう。本書の刊行(なお、文庫化に際して大幅に加筆修正されたようである)からだいぶ経った今でも、孤独な人への風当たりは依然として強いように感ずる。むしろ、インターネットの普及により、その風当たりの強さを、淡いつながりでもってなんとか紛らわそうとする人々が増えているようである。

 そんなわだかまった感情を抱えている人に、この作品をおすすめしたい。孤独だから、と卑屈になるのも仕方のない現実だが、孤独だからこそ、とほんの少しでも考え方を変えたいのであれば、本書はそっとその背中を押してくれるであろう。

 最後に、『ほぼ日刊イトイ新聞』に「天童さんの見た光。」という題で掲載されたインタビューの第22回(https://www.1101.com/tendou/2004-06-29.html)で、著者が本作のテーマについて語っている部分を引用してみる。

「孤独はほんとうに悪いものなのか?

 孤独が人を救うことだって、

 あるんじゃないのか?」

 

 

孤独の歌声 (新潮文庫)

孤独の歌声 (新潮文庫)