活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

【追悼2】『女には向かない職業』 P・D・ジェイムズ 小泉喜美子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

女には向かない職業 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

うら若き女探偵と老練な刑事の交錯

 

「探偵稼業は女に向かない」

 誰もがコーデリア・グレイにそう言った。世間知らずの22歳の娘に、そんな荒仕事ができるわけない……。それでもコーデリアは、病を苦に自殺した探偵事務所の共同経営者バーニイ・プライドの意志を継ぎ、一人で切り盛りしていくと決意する――。

 このような経緯から始まる本書は、P・D・ジェイムズの作品中、ミステリ好きの間では、もはや説明不要といって良いほど人口に膾炙した、女探偵コーデリア・グレイの初登場作品である。

 舞台はケンブリッジ。事務所の身辺整理を行っている彼女のところへ、最初の依頼が舞い込む。微生物学者のロナルド・カレンダー卿から、数週間前に首をくくった息子の自殺の理由を調べてほしい、というものだ。初仕事としては順調な滑り出しだったが、やがて危険な影が彼女の周囲に現れる……。

 ジェイムズの他の作品と同じく、展開はいささか地味で、派手な起伏を求める読者は物足りなさを覚えるだろう。加えて、孤独なコーデリアの直情的な行動や、心の機微が丹念に拾い上げられて描かれており、ドライブ感はあまりない。さらには、コーデリアの父親がアマチュア革命家で、生みの母親の顔を知らないといった過去が、物語のトーンの暗さに拍車をかける。

 そう、この作品は、どちらかと言えばミステリよりもハードボイルドであり、同時にコーデリアの成長譚でもあるのだ。後ろ盾のないまま、困難に直面しても、健気に頑張る素人女探偵に、感情移入できないわけがない。

 本書で特筆すべきは、「影の主役」である、ジェイムズのもう一人のお抱え探偵、アダム・ダルグリッシュ警視の存在である。

 実は、バーニイの元上司が他ならぬダルグリッシュであり、バーニイは彼を非常に尊敬しているのである。つまり、コーデリアの捜査は、間接的に彼の技術に基づいているのだ。コーデリア・グレイは高い人気を誇るにもかかわらず、本書と続編『皮膚の下の頭蓋骨』の二作品のみの登場なのは、あくまでもダルグリッシュ・シリーズの外伝的位置づけだからであろう。

 そして本書の最大の見所は、なんといっても、このダルグリッシュコーデリアの「交錯」である。

 終盤のこの場面における、彼女の、バーニイへの想いと、ひた隠していた感情の決壊は、胸を打たずにおれない。ダルグリッシュの優しさも涙を誘う。だからこそ、本書を読む前にダルグリッシュ・シリーズを最低でも一作は読んでおくべきだ。訳者の小泉喜美子氏は「思わずほろりとさせられてしまった」と書き、評論家の瀬戸川猛資氏が「何度読んでも、涙、涙あるのみである」と評した、翻訳ミステリ好きならば必読の名場面である。

 ダルグリッシュ・シリーズは2008年の『秘密』まで14作発表された。しかし、日本におけるP・D・ジェイムズの代表作というと、本書やノン・シリーズの『人類の子供たち』(映画『トゥモロー・ワールド』原作)、『高慢と偏見、そして殺人』などが挙げられて、屋台骨のダルグリッシュは影が薄い。事実、新刊書店では、彼女の初期作品は本書以外ほとんど見かけられない。もっと読まれてほしいと、切に願う。