活字耽溺者の書評集

好きな本を自由気ままに書評するブログ。

海外ミステリ・サスペンス

【800字書評】人生を変える贅沢ミステリ――『カササギ殺人事件』 アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭訳/創元推理文庫

人生を変える贅沢ミステリ この本は、わたしの人生を変えた――。本書のプロローグにて、語り手の「わたし」がそんな述懐をする。読んだ後、それまでの棲み家を離れ、編集の仕事も辞め、多くの友人を失った、と。なんとも不気味でぞくぞくする忠告である。 そ…

【800字書評】『アイリーンはもういない』 オテッサ・モシュフェグ/岩瀬徳子訳/早川書房

※この書評は2018年4月29日付産経新聞読書面からの転載です。 醜悪な心を書き尽くす 死者のような、慈悲深い無の微笑み――24歳のアイリーンが仕事中につけていた表情だ。彼女は内奥に秘めた激情を抑えるためにこの仮面をかぶり、内気で平凡な人間のふりをして…

【800字書評】若くしてさいきょうの女探偵の物語――『修道女フィデルマの挑戦』(ピーター・トレメイン/甲斐萬里江訳/創元推理文庫)

末恐ろしい女探偵である。 7世紀の古代アイルランドを舞台に活躍する本書の主人公・フィデルマのことだ。修道女かつ法廷弁護士であり、裁判官の資格も有する。出自はアイルランド南西部のモアン王国の王女でおまけに美女。高い論理的思考力と豊富な知識を持…

【800字書評】南仏の「男爵」警部、海底洞窟に秘められた犯罪に挑む――『狩人の手』(グザヴィエ=マリ・ボノ/平岡敦訳/創元推理文庫)

1991年、南仏マルセイユ近郊の入り江で、ある海底洞窟が発見される。水深37メートルの地点に入り口を持ち、そこから175メートルもの上向きのトンネルを上った先に、広大な空間が存在していたのだ。学者を驚かせたのは、紀元前2万7千年から1万9千年のものと推…

【800字書評】『声』 アーナルデュル・インドリダソン/柳沢由美子訳/創元推理文庫 

癒えない傷との対峙 「なんという人生だ」 殺された男の師が、悲嘆のあまり放った言葉だ。この言葉は、姿形を変え、幾度となく物語に表出しては、事件を捜査するエーレンデュルの内で重く響き渡る。彼もまた、自分の人生が窮地にあることを理解しているから…

【800字書評】『湖の男』 アーナルデュル・インドリダソン/柳沢由実子訳/東京創元社

過ぎ去りし時代の悲劇を掘り起こす アイスランド、クレイヴァルヴァトゥン湖。地震の影響で干上がっていたこの湖から、白骨化した遺体が発見される。レイキャヴィク警察は、こうした骸骨の捜査にうってつけの人物として、エーレンデュル捜査官を抜擢する。彼…

【週刊800字書評+α】『怒り』 ジグムント・ミウォシェフスキ/田口俊樹訳/小学館文庫

ポーランドのピエール・ルメートル登場 本書はポーランドのミステリー作家ジグムント・ミウォシェフスキのテオドル・シャツキ検察官シリーズの第三作で、完結篇である。初邦訳なのに、最終作からとはこれいかに。加えて、著者は本国で「ポーランドのピエール…

『海岸の女たち』 トーヴェ・アルステルダール/久山葉子訳/創元推理文庫

※この記事は2017年7月16日付産経新聞読書面からの転載です。 異邦の地で闇を暴く 舞台美術家のアリーナ・コーンウェルは、じりじりしていた。彼女のおなかには、夫パトリックとの間に授かった新しい命があり、それを伝えたくて仕方がなかったのだ。ヨーロッ…

【週刊800字書評】『鏡の迷宮』 E・O・キロヴィッツ/越前敏弥訳/集英社文庫

幻覚を終わらせないリアリティ 家族や旧友と、昔の思い出を語らっているとき、認識の違いに直面したことはないだろうか。同じものを見ていた、あるいは同じ体験をしたはずなのに、話が微妙に食い違っている。議論を交わしてもお互い譲らず、あやふやで終わっ…

【週刊800字書評】『渇きと偽り』 ジェイン・ハーパー/青木創訳/早川書房

渇く心、湿る筆 ゆっくりと着実に進行する天災、日照り。雨が降らず、高温の日々が続き、水不足をもたらす。日本でも馴染みある災害の一つだが、本書の舞台であるオーストラリアでは深刻な問題となっている。その頻度たるや、十年から二十年に一度は干魃に襲…

【週刊800字書評】『雪盲 SNOW BLIND』 ラグナル・ヨナソン/吉田薫訳/小学館文庫

アイスランド最果ての地の群衆劇 舞台の紹介から始めよう。 シグルフィヨルズルは、アイスランド北部の最果てにある人口1200人ほどの港町。首都レイキャヴィークより北極圏に近く、環状に連なる山とフィヨルドに囲まれて、空はいつも雲に覆われ灰色にくすん…

『死者は語らずとも』 フィリップ・カー著 柳沢伸洋訳 PHP文芸文庫

肌感覚で突き付けられる歴史と現実 私は本書の主人公ベルンハルト(ベルニー)・グンターの追っかけファンである。ボクサー顔負けの強靭な腕力、ナチズムが闊歩するドイツでも屈しない精神力、いかなる時でも忘れない皮肉……。だから、グンター・シリーズの新…

『ドローンランド』 トム・ヒレンブラント著 赤坂桃子訳 河出書房新社

ドローンが溶け込んだ未来で 昨今世間の耳目を集める無人航空機ドローン。メディアで有用性やら問題点やら盛んに報道されているが、では実際問題として、このドローンは今後どのような影響を及ぼしていくのか? そんなクエスチョンに答える本書は、タイトル…

『見張る男』 フィル・ホーガン著 羽田詩津子訳 角川文庫

のぞき男の私小説? まるで存在感のない人間がいる。ごく一般的な容姿容貌を持ち、いつも静かで、周りの景色に溶け込み、波長を合わせて目立たぬよう振る舞う。本書の主人公ヘミングはそういう、学校や職場に一人はいそうなヤツである。 だが彼に全く特徴が…

『カルニヴィア 1 禁忌』 ジョナサン・ホルト 奥村章子訳 ハヤカワ文庫NV

水の都で繰り広げられる三人の暗闘 雪舞うヴェネツィアの夜。教会の石段に、奇妙な女性の死体が流れ着いた。頭部に二つの銃創。カトリックの女性には許されない司祭の恰好。そして、腕には不気味な紺色のタトゥー。すべてが、尋常ならざる事件であることを示…

『アデスタを吹く冷たい風』 トマス・フラナガン 宇野利泰訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

詩趣漂う、大人のミステリ短篇集 本書は、トマス・フラナガンが1949年から1958年にかけてEQMMに投稿した短篇七篇を日本独自に編み、1961年にハヤカワ・ミステリ(ポケミス)から刊行された短篇集の文庫化である。1998年と2003年のポケミス復刊希望アンケート…

『夏の沈黙』 ルネ・ナイト 古賀弥生訳 東京創元社

「否認」の普遍性を描くサスペンス 精神分析で用いられる「防衛機制」の一つに、「否認」がある。苦痛や不快感を催す現実を知覚しながら、その現実の認識を拒否して、精神の平常を保とうとする機能である。日常生活でも割と見られる心の働きだが、時としてこ…

『悪意の波紋』 エルヴェ・コメール 山口羊子訳 集英社文庫

悪意で人生を論ずる ある事件やある人物が、波紋のように周囲の人生に影響を及ぼしていくのは、いつの時代、どこの場所でも度々見られる現象だ。本書は、『悪意の波紋』というタイトルどおり、ある瞬間に落とされた悪意の一滴が、半永久的に広がっていく様を…

『東方の黄金』 ロバート・ファン・ヒューリック 和爾桃子訳 ハヤカワ・ミステリ

さらりと読める唐の探偵奇談 まず、肩の力を抜いて、ゆっくりと想像してみよう。七世紀半ば、唐時代の中国――。 都の若き官吏・狄仁傑(ディーレンチェ)は、毒殺された知事の後任として、信頼の厚い老僕一人を従え、初めての任地・平来(ボンライ)へと向か…

『静かなる炎』 フィリップ・カー 柳沢伸洋訳 PHP文芸文庫

くすぶり続ける鉤十字 報道でたびたび取り上げられているとおり、今年2015年は終戦70年の節目の年であり、去る5月8日はドイツの終戦記念日であった。ドイツではこの日をナチス体制からの「解放の日」と呼ぶこともあり、鉤十字は今なおドイツ社会に影を落とし…

『変わらざるもの』 フィリップ・カー 柳沢伸洋訳 PHP文芸文庫

変えられない運命にあえぐ 第二次世界大戦中から戦後にかけてのドイツに、名高きレイモンド・チャンドラーの探偵フィリップ・マーロウを置いたらどうなるか――著者のそんな興味が、本シリーズの最大の魅力だ。本書は、私立探偵ベルンハルト・グンター・シリー…

『極夜 カーモス』 ジェイムズ・トンプソン 高里ひろ訳 集英社文庫

終わらない暗闇、浮き彫りになる社会 「極夜」とは、太陽が沈んだ状態が続く現象のことをいう。限界緯度66.6度を超える北極圏や南極圏で発生し、住人たちは数日間、凍てつく暗闇の中を生きなければならない。自殺率や犯罪率が高まる、鬱屈とした季節である。…

『歌うダイアモンド』 ヘレン・マクロイ 好野理恵 他 訳 創元推理文庫

この世の謎に悲愴を込めて ミステリはたいてい、はじめに事件があり、その謎を解き明かしていくという構造を成しているが、そもそも世の中には謎があらゆる所に存在している。はるか昔から、一般に言われる超常現象や怪奇現象の類から、人間の心理や精神まで…

『猟犬』 ヨルン・リーエル・ホルスト 猪俣和夫訳 ハヤカワ・ミステリ

秋雨の降る数日間、苦難に立ち向かう父娘 北欧から、またしても、ユニークな警察小説シリーズが登場した。舞台はノルウェー、オスロ周辺。著者はヨルン・リーエル・ホルスト。新人作家ではない。本書は、ヴィリアム・ヴィスティング捜査官シリーズの第八作目…

『赤い右手』 ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ 夏来健次訳 創元推理文庫

悪夢を心ゆくまで愉しむ 熱に浮かされていると悪夢を見る。誰しも一度や二度は体験したことがあるだろう。小説でもその疑似体験が可能な作品がいくつか存在しているが、その中でも、本書は文字通りの「悪夢」を、奇妙な酩酊とともに味わえる怪作ミステリであ…

『禁忌』 フェルディナント・フォン・シーラッハ 酒寄進一訳 東京創元社

「禁忌」が描かれた絵画 まず、本書は一般的にイメージされるミステリ小説ではないことを念頭に置いておかねばならない。いや、小説と意識して読むのも間違いかもしれない。たとえるならば、どこかの湖畔のさびれた美術館で、「禁忌」と題された絵画を鑑賞し…

『ストリート・キッズ』ドン・ウィンズロウ 東江一紀訳 創元推理文庫

青年探偵の痛快で哀切な長い夏 軽口は叩くけれど、ニヒルになりきれない。冷徹に振る舞おうとしても、ついつい感情が出てしまう。モラトリアムにありがちな葛藤だ。本書は、そんなナイーブさをひた隠しにして、機転の良さと天性の才能を頼りに事件へ立ち向か…

『特捜部Q 檻の中の女』ユッシ・エーズラ・オールスン 吉田奈保子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

圧倒的なリーダビリティの北欧ミステリ・シリーズ第一作 ミステリを読む楽しみの一つは、一人の探偵や刑事のシリーズを追うことだ。ホームズやポワロなど、多くの人々に愛されたシリーズは枚挙にいとまがない。本書は、現在進行形で、北欧ミステリブームの旗…

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』ジェームズ・M・ケイン 田口俊樹訳 新潮文庫

“二度”の運命を、かろやかな名訳で 本書は、古典的名作小説の新訳である。アメリカでの初刊は1934年、初邦訳は1953年で、以後は、帯の惹句に「映画化7回、邦訳6回、永遠のベストセラー!」とあるように、全世界で長く親しまれてきた。しかし、タイトルはなん…

【追悼2】『女には向かない職業』 P・D・ジェイムズ 小泉喜美子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

うら若き女探偵と老練な刑事の交錯 「探偵稼業は女に向かない」 誰もがコーデリア・グレイにそう言った。世間知らずの22歳の娘に、そんな荒仕事ができるわけない……。それでもコーデリアは、病を苦に自殺した探偵事務所の共同経営者バーニイ・プライドの意志…