活字耽溺者の書評集

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【書評】『ネコ・かわいい殺し屋 生態系への影響を科学する』(ピーター・P・マラ、クリス・サンテラ/岡奈理子訳/築地書館)

ネコ・かわいい殺し屋―生態系への影響を科学する

※この記事はHONZからの転載です。

野良ネコへの愛情はリスクを孕む

 本書を読む少し前、環境省による奄美大島のノネコ(野生化したネコ)への対策が議論を呼んでいるとのニュース記事を読んだ。ノネコが国の特別天然記念物であるアマミノクロウサギなどを捕食するため、昨年夏から捕獲が始まり、引き取り手が見つからなければ殺処分される。そのために動物愛護団体との対立が深まっているというものだ。野良とはいえ、あんな気ままでのんびり屋のネコがそこまで脅威になるのかと思っただけだったが、この本を読んでから、考えを改めねばならないと感じている。

 増加するペット由来の野放しネコ(イエネコ)が生態系、環境、公衆衛生に及ぼす影響を、科学的根拠に基づいて丹念に示したのが本書『ネコ・かわいい殺し屋』である。訳者あとがきによれば、ネコを生態系の外来捕食者としてとらえた初めての本格本であるという。著者のピーター・P・マラはアメリカのスミソニアン動物園で渡り鳥の研究をする鳥類学者で、もう一人のクリス・サンテラはサイエンスライターであり、二人ともネコの専門家ではない(訳者の方々も鳥類学や保全生態学の研究者だ)。彼らが正面切って取り組まざるを得ないほどにネコ問題が差し迫った状況にあることが読んでいて痛切に伝わってくる。

 まず、ネコの狩猟と聞いて、ネコから小鳥やネズミの「プレゼント」を受け取ったことを思い出す飼い主は多いかもしれない。狩りの仕方を教えているのか食料の保管なのか理由は定かではないが、屋外を出歩けるネコが鋭敏な狩猟能力を持つこと、そして空腹でなくても好奇心で獲物を殺す場合があることははっきりしている。

 しかし、ある野鳥の個体数が減っているという事実があっても、その原因をネコの捕食行動だけに求めるのは難しい。人間からの給餌が主たる食事で狩りはおまけかもしれないし、そもそも気候変動や他の捕食者の存在、生息地の消失などがその野鳥の減少の主要因とも考えられる。元をただせば人間の営為活動が希少動物絶滅の最大の原因だ。このような複数の脅威がひしめく中で、ネコがもたらす影響だけをいかにして評価するのか。

 実は野放しネコによる野生動物への影響の調査は百年ほど前から世界各国で行われてきた。著者らはこの研究の歴史をていねいに紹介していく。草の根を分ける聞き取りに始まり、ネコが持ち帰る獲物を逐一調査したり、他の捕食動物との関係性を明らかにしたり。やがて時代が進み、ネコに発信機付きの首輪をつける、小型ビデオカメラをぶら下げるなどのテクノロジーも導入され、統計モデルは精度を増す。

 そして2013年、アメリカ全体でネコが殺した動物の数を相当の正確性で推定・定量化できる最終モデルが発表された。この研究を詳述すると長大なレビューになってしまうので、結論のみを書く。死亡総数は、鳥類だけで年間1.3億~40億羽(中央値24億羽)で、そのうちの69%が飼い主のいないネコが原因だった。この数値は、風力発電、自動車事故、農薬や毒物といった人為的原因による死亡数と比べても多く、また学者の誰の予想よりも高いものだった。

 こうした一連の研究や鳥類保護活動は嵐を呼び寄せる。それが本書の原題である「Cat Wars」、ネコ擁護者と野生動物擁護者の間で発生している「ネコ戦争」だ。

 強調するまでもなく、ネコの最強の味方は人間である。ある研究者は、殺害の脅迫を含む嫌がらせ電話やヘイトメールの対応に追われた。また、ある鳥類学者は、観察対象である絶滅危惧種の野鳥が野良ネコに襲われかけているのを見て激怒、そのネコをライフルで射殺し、環境倫理か動物福祉かの激しい論争の渦中に置かれた。生態系保全の観点から行われているとはいえ(当然だが、著者らも登場する学者もネコが嫌いなわけではない)、ネコをこよなく愛する人々の気持ちもわからなくはないがゆえに、まさしく頭が痛くなってくる難題である。

 野放しネコのその他の脅威として、感染症を媒介する場合がある。その最たるものがトキソプラズマ症だ。トキソプラズマ原虫という寄生虫によって引き起こされるこの疾患は、世界人口の約30~50%が潜伏状態と推定されるほどありふれた感染症で、健康な成人ならばほとんど症状が出ない。が、エイズ患者のような免疫不全の人や妊婦が感染すると重大なリスクをもたらす(予防のワクチンはない)。最近の研究では、鬱病双極性障害統合失調症といった精神疾患とも関係があると言われている。この寄生虫はネコ科動物の腸管内でのみ有性生殖を行うため、ネコと直接接触しなくても、感染したネコの糞便が土壌を汚染し、農作物あるいは水を経由して摂取してしまう可能性がある。

 アメリカやオーストラリアなどではすでに野外ネコへの対策が進んでいるが、なんにせよ希少動物にとってもネコにとっても人間にとっても最善の選択は、ネコは屋内で飼うにとどめる、ということだ。飼えなくなったからと野に捨てるなど論外である。そもそも野外ネコは交通事故や病気などで屋内ネコよりも格段に短命になるうえに、発情期の頻度の高さであっという間に数を増やしてしまう。アメリカの動物福祉団体ではネコを捕獲し不妊化して放す「TNR(Trap-Neuter-Return)」という方法が好まれているが、高い不妊化率と移入ゼロを達成しないとコロニー縮小には効果がないという調査結果が出ており、限界が指摘されている。

 島嶼部において、野生化したイエネコは全世界の爬虫類、鳥類、哺乳類の絶滅種の14%の絶滅に関与したとされている。書店ではネコの写真集が並び、SNSでは連日のようにネコのかわいらしい画像や動画がシェアされる中で、こうしたデータは不都合な現実かもしれない。自分の信念を優先して理解を拒むだけでなく、科学的根拠に対して激しい怒りを覚える人もいるかもしれない(これは確証バイアスと呼ばれる)。いずれにせよ、問題の本質を知らずして、良い解決策は導き出せない。ネコ問題を通して、絶えず人間の手のひらの上で転がされる命の存在のみならず、どんな人間でも陥りやすい思考傾向をも浮き彫りにする、今の時代にぜひ読まれてほしい一冊だ。(2457字)

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